"少年のような心をもった大人" "大人の少年"なんて中・高年男子の魅力を表したりするが、昨年末、"大きな少年"をキャッチフレーズに雑誌「ポパイ」が創刊当時の世代を中心に、今の30~50代男子へ向けた"親父のポパイ"「Oily Popeye」を創刊した。ここ10~15年来、「GQジャパン」「Esquireジャパン」などの舶来系に、国産系では真っ当コンサバ「BRIO」、2001年創刊以来の"ちょい不良(ワル)オヤジ"が大流行で、とうとう2005年には"ちょいモテオヤジ"が流行語ベスト10入賞までしちゃった、ちょっとウォーター&バブリーな「LEON」と、威勢が良かった男ジャンル、まだ続編があったのか?ちなみに"Oily"って、車好きでならした白洲次郎のあだ名"Oily Boy"が由来とか。ここんとこの彼人気も、ちょいワルオヤジも、再結成バンドみたい「親父のポパイ」も、ジャスト当事者世代の僕には何だかなぁー、イマイチ、しっくりこないんだけど。
「ボーイズライフ」小学館 1963年(昭和38年)創刊~1969年(昭和44年)廃刊。東京オリンピックの前夜1963年(昭和38年)当時、男の雑誌といえば「こどもの漫画本」と「オヤジの週刊誌」しかなかった。そんな時代にあって、この少年雑誌は2つの点で画期的な出版物だった。大正11年(1922年)「小学5年生」「小学6年生」という学年別学習雑誌の創刊から始まり「幼稚園」「めばえ」までラインを揃えていった小学館が「まんが本」ではない、いわば少年期のライフスタイル誌のような新しいジャンルを狙ったことだ。音楽、ファッション、映画、風刺コミック、自動車、そしてちょっと女子、と広告、それまでどこにもなかった内容だ。それはたぶん、その背景に戦後18年、高度経済成長爆走中の日本で、いわゆる戦後生まれ団塊の世代がちょうど18歳、高校3年生~大学1年生ごろに差し掛かっていたわけで、この新時代の巨大市場を狙ったことだ。ふたつ目は、小学館の読み違い、誤算の思わぬ結果が少数世代に60'sカルチャーを鮮烈に記憶させたことだ。というのも、もし、このビックマーケットにジャストミートした編集コンテンツを提供できていれば、わずか5年弱で廃刊とはならなかっただろうからだが、このターゲットと目されたアンダー20の最大公約数は当時、世界的に猛威を振るっていた学生運動の渦中で、「ボーイズライフ」が垣間見せてくれた画期的なカルチャー&ライフスタイルこそ本来、彼らのキャンパスライフにぴったりのはずにもかかわらず、渦中の彼らには、逆なでする日和見主義的コンテンツそのもので、大げさに言えば糾弾に値するほど逆行したものに写ったのだろうと思われる。その証左に、今もってこの「ボーイズライフ」を幻の少年雑誌と感じている世代が別に存在している事だ。実はジャストミートしたのは団塊の世代の10年後輩。昭和30年(1955年)生まれ以降の人口統計では一番少ないボトルネックの世代だったのだ。その後輩世代は当時、小学校高学年から中学校低学年で彼らにとっては、長髪にベルボトムジーンズ、ヒッピーにラブ&ピース、サイケデリックにフラワーチルドレン、フォークソングにウッドストック、バイオレンスにエログロナンセンスなどはリアリティーのない単なる時代の流行のおしゃれなキーワードにすぎなかった。だから"007"に代表されるハリウ ッド映画、 VANのアイビールック、自動車レースの世界、ガールフレンドとレコードショップ で視聴するデートシーン、リーガルのペニーローファーの広告など、すべてが初めて見る おませに背伸びしたくなる世界の話題で、これに先輩世代が生んだ時代のキーワードは 一体化されて、その全てがカッコイイものであったのだろうと僕自身が、その当事者世代 として今にしてみれば思うのだ。
大人になると時間が早く感じる。あっという間に1年が過ぎていく。それは、子供のころ感じたことの無いスピードだ。なぜなら、子供は「一瞬の永遠」に生きているから時間を意識しない。メモリー「思い出」とは、常に今の自分を作った、かけがいのないモーメント「一瞬の永遠」だ。だからいつも昨日の出来事のように鮮やかに再生される。時間のドキュメント「記録」はセピアになっても、思い出は、いつもブルーレイ。命と引き換えにした永遠に輝く生きた証。だから、ボクの時間を消し去り、無邪気な少年に戻しててくれたリブとの思い出は永遠に今に生きつづける。
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