2009-02-16

新学問論


新学問論 西部邁 講談社現代新書 1989年2月10日初版。540円。 戦後42年が過ぎた1987年4月24日、「朝まで生テレビ」の放送開始によって言論のタブーは解禁された。深夜放送とはいえ、テレビというマスメディアによって、しかも4~5時間をかけての生激論は日本における言論の自由革命だった。まだ、携帯電話もなく、もちろんインターネットも無い時代。戦後一貫して封印されてきた、天皇制、極東裁判と靖国問題、憲法問題、学生運動と安保闘争、そして部落差別問題、などなど、当時としては、ひとつ間違えれば過激派による殲滅というテロが起きてもおかしくない危険な問題を率先してつまびらく。ここから、今の厚労大臣、桝添要一(当時、東大教養学部・国際政治学者)、今の東京都副知事、猪瀬直樹(当時、作家)、今の秀明大学学頭、「発言者」塾長、西部邁(当時、東大教養学部教授・経済学者)らは、鋭い論客として世間の知るところとなる。

この番組が誕生できた背景は、80年代中ごろから共産主義革命国がほころび始め、時同じく1986年のプラザ合意を起点に、資本主義経済の通貨安定がはかられていく変革期で、世界情勢は大きな転換期を迎えていた事だ。それは、翌1988年、現実となっていく。ソ連はゴルバチョフ政権を樹立させ、事実上の共産主義革命終焉を意味するペレストロイカ(民主化)を掲げ、ついに1989年、ベルリンの壁は自然崩壊。東西の冷戦、鉄のカーテンは幕を引く。一方、日本では、1989年、昭和天皇の崩御によって表向きには戦後は終わった。世界は大世紀末感漂う中、アメリカ一極のグローバル経済時代が跋扈していく。日本はやがて来るバブル崩壊も知らず、土地神話の徒花に狂乱していく。そんな歴史的転換点の不確かさに揺れ動く時代に、かつて60年安保闘争では、東大ブントの指導的活動家だった西部邁は、「朝まで生テレビ」を舞台に、体系的歴史観と冷静な20世紀の総括から、世界と日本の状況を最も論理的かつ明快に示す真の「正論」者として、今日の立ち位置を鮮明にする。この薄っぺらな新書は、その後のリーマン破綻からの金融資本主義崩壊、そして今始まった、真の地球民平等社会時代の源を知るには、20年の時を経て今なお最適の手引書だ。写真小は、その時期を物語る「TIME」誌の1988年の表紙。新年の始まりは「ゴルバチョフ」から、そして終り(同年12月発売の1989年新年号)は「地球」。今の変革につながる始まりがここにある。思えば当時、33歳。僕はニュースキャスターを勤める当時のカミさんから、小西部、小舛添、と呼ばれていた。53になった今、僕はいったい何と呼ばれているのだろう。

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