2009-02-19

ボーイズライフ


"少年のような心をもった大人" "大人の少年"なんて中・高年男子の魅力を表したりするが、昨年末、"大きな少年"をキャッチフレーズに雑誌「ポパイ」が創刊当時の世代を中心に、今の30~50代男子へ向けた"親父のポパイ"「Oily Popeye」を創刊した。ここ10~15年来、「GQジャパン」「Esquireジャパン」などの舶来系に、国産系では真っ当コンサバ「BRIO」、2001年創刊以来の"ちょい不良(ワル)オヤジ"が大流行で、とうとう2005年には"ちょいモテオヤジ"が流行語ベスト10入賞までしちゃった、ちょっとウォーター&バブリーな「LEON」と、威勢が良かった男ジャンル、まだ続編があったのか?ちなみに"Oily"って、車好きでならした白洲次郎のあだ名"Oily Boy"が由来とか。ここんとこの彼人気も、ちょいワルオヤジも、再結成バンドみたい「親父のポパイ」も、ジャスト当事者世代の僕には何だかなぁー、イマイチ、しっくりこないんだけど。

懐かしいなぁーと、ひと息、回顧を悦楽できるノスタルジーって気分は、成長期に養われる心の栄養なくして醸造されないのではないだろうか。その養分とは、一緒に育っていく同級生のような、物との出会いや、事との遭遇によって育まれるように思えてならない。雪融けが進む春、日当たりの良いところどころに、ふかふかの土があらわれて草花が芽吹くころ、カエルやサンショウオの卵を捕ってきては、その成長を観察したり。深緑にむせ返る真夏の野原や森で、キリギリスやクワガタを採ってきては、飼ってみたり。子供の自分より大きな飼い犬と戯れて友達のように一緒に午睡したり。やがて、自分の方が、その犬より大きくなっていったり。日々成長していく生き物とのふれあい、一緒に成長していく同時体験。洗濯機、冷蔵庫、炊飯器、扇風機が、ひとつひとつ生活に加わって、部屋の配置が変り、暮らしが便利になっていく。行動範囲を別世界に広げる自動車までがマイホームにマイカーとして登場する。白黒テレビがカラーテレビに、蓄音機がステレオに、ステレオがテープレコーダーに、大きなリールのテープレコーダーがカセットテープに、そいつがウォークマンに化けて音楽と一緒に走る。大きなLPレコードがCD(コンパクトディスク)に、それがとうとうMP3のiPOD。ビデオがLDに、そしてDVDに、さらにブルーレイ。写真館で撮った写真も、フィルムのカメラで自前の写真に、それがその場で見れるデジカメに、携帯カメラにと、今やいつでもどこでもだれでもカメラマンに。固定電話が生活にインテリアに入ってきて、やがて自動車電話、そして携帯電話、ファックスが登場して、インターネットにPCがあたり前のインフラになって、そのすべてが薄っぺらなアイフォーンとしてポッケにある時代へ。真空管がトランジスターに、そのトランジスターがIC(集積回路)に、CPU(中央処理装置)に、ブラウン管は液晶画面に、すべては軽量コンパクト、高画質、高音質、高品質化する技術の成長、文明生活の成長と一緒になって大人になっていった同時体験。すらりとした手足が無骨に、つるんとした肌がヒゲ面に、カン高い声が野太い声に、少年から青年に、心も身も劇的に変化する男の一生の最初で最後の節目に、そんな動植物の成長と生き死にを学び、生活環境を激変させていく文明機器の誕生と進化に、成長を、自分の背丈の変化、成長期と重なって共に育った体験。この同時成長体験が幸いにも今の僕を生んでいる。

「ボーイズライフ」小学館 1963年(昭和38年)創刊~1969年(昭和44年)廃刊。東京オリンピックの前夜1963年(昭和38年)当時、男の雑誌といえば「こどもの漫画本」と「オヤジの週刊誌」しかなかった。そんな時代にあって、この少年雑誌は2つの点で画期的な出版物だった。大正11年(1922年)「小学5年生」「小学6年生」という学年別学習雑誌の創刊から始まり「幼稚園」「めばえ」までラインを揃えていった小学館が「まんが本」ではない、いわば少年期のライフスタイル誌のような新しいジャンルを狙ったことだ。音楽、ファッション、映画、風刺コミック、自動車、そしてちょっと女子、と広告、それまでどこにもなかった内容だ。それはたぶん、その背景に戦後18年、高度経済成長爆走中の日本で、いわゆる戦後生まれ団塊の世代がちょうど18歳、高校3年生~大学1年生ごろに差し掛かっていたわけで、この新時代の巨大市場を狙ったことだ。ふたつ目は、小学館の読み違い、誤算の思わぬ結果が少数世代に60'sカルチャーを鮮烈に記憶させたことだ。というのも、もし、このビックマーケットにジャストミートした編集コンテンツを提供できていれば、わずか5年弱で廃刊とはならなかっただろうからだが、このターゲットと目されたアンダー20の最大公約数は当時、世界的に猛威を振るっていた学生運動の渦中で、「ボーイズライフ」が垣間見せてくれた画期的なカルチャー&ライフスタイルこそ本来、彼らのキャンパスライフにぴったりのはずにもかかわらず、渦中の彼らには、逆なでする日和見主義的コンテンツそのもので、大げさに言えば糾弾に値するほど逆行したものに写ったのだろうと思われる。その証左に、今もってこの「ボーイズライフ」を幻の少年雑誌と感じている世代が別に存在している事だ。実はジャストミートしたのは団塊の世代の10年後輩。昭和30年(1955年)生まれ以降の人口統計では一番少ないボトルネックの世代だったのだ。その後輩世代は当時、小学校高学年から中学校低学年で彼らにとっては、長髪にベルボトムジーンズ、ヒッピーにラブ&ピース、サイケデリックにフラワーチルドレン、フォークソングにウッドストック、バイオレンスにエログロナンセンスなどはリアリティーのない単なる時代の流行のおしゃれなキーワードにすぎなかった。だから"007"に代表されるハリウ ッド映画、 VANのアイビールック、自動車レースの世界、ガールフレンドとレコードショップ で視聴するデートシーン、リーガルのペニーローファーの広告など、すべてが初めて見る おませに背伸びしたくなる世界の話題で、これに先輩世代が生んだ時代のキーワードは 一体化されて、その全てがカッコイイものであったのだろうと僕自身が、その当事者世代 として今にしてみれば思うのだ。

その世代も大学2年生の1976年、"Magazine for City Boys" というサブタイトルの『ポパイ』が創刊された。あの「ボーイズライフ」との衝撃的出会いは、まさに当時としてはこの「ポパイ」そのものだったのだろう。マガジンハウスの「ポパイ」は、昭和30年(1955年)世代以降にとってキャンパスライフのマストアイテム、バイブルと化していく。渋谷の場末の百軒店に2坪の"SHIPS"が生まれ、原宿の小さな複合テナントビルの奥にわずか3坪でデビューした"BEAMS"が後を追う。先行している団塊の世代のデザイナーズブランドとは明らかに違うテイストのライフスタイルの幕開けだ。背伸びした少年をわくわくさせた「ボーイズライフ」。青年期にサブタイトルどおりマッチした「ポパイ」。ともにもう戻れない我が記憶の「宝」。

大人になると時間が早く感じる。あっという間に1年が過ぎていく。それは、子供のころ感じたことの無いスピードだ。なぜなら、子供は「一瞬の永遠」に生きているから時間を意識しない。メモリー「思い出」とは、常に今の自分を作った、かけがいのないモーメント「一瞬の永遠」だ。だからいつも昨日の出来事のように鮮やかに再生される。時間のドキュメント「記録」はセピアになっても、思い出は、いつもブルーレイ。命と引き換えにした永遠に輝く生きた証。だから、ボクの時間を消し去り、無邪気な少年に戻しててくれたリブとの思い出は永遠に今に生きつづける。

2009-02-18

Surf Photography of the 60s&70s


大自然は、ビターな悲しみも、スイートな喜びも、いつも、突然もたらしてくれた。その自然も、ファーブルじゃないが、熱中してよーく観察すると、気性予報士のように、その予兆と気配がわかるようになるものだ。そして大自然とは、とてもシンプルな法則、ピュアな動機、無垢な純心で成り立っていることに感動する。マイ・ファニー・ナチュラルとの5年は、一日たりとも同じ日が無い、いや、一日の中でも変化し続ける、毎日が毎時間が、瞬く間の新鮮な驚きと初体験の連続だった。人生、あの世に持っていけるのは、思い出だけだ。だから、二度とない今 一瞬のまばゆいトキメキとゆらめきの連続は、あきることのない最高のエンターテイメント。それは、主演女優と主演男優を張った、リハーサルも、撮り直しも、本の直しも、編集もできない、たった一度だけのテイク・ワン・ドラマ。これこそライブ。THE END まで、カメラは回り続ける唯一無二の人生活劇。人様が紡ぐ、どんな小説よりも、人様が描く、どんな映画よりも、面白いに決まってる。スリルとサスペンス。エロスとロマンス。ハピネスとペインズ。時雨も時化(しけ)も、小春も灼熱も、麗らかも吹雪も、ファンタジー。味わい深いラブコメディーのスペクタクル巨編。命がけのロードムービー。処女作で遺作。たった1本の超大作だもの。

2007年5月27日は、ファニー、ユニーク、クレイジー炸裂の大自然ばんざい!恥ずかしいが楽しい、可笑しいが嬉しい、愉快壮快愉悦のビックサンデーだった。土曜の夜も更けて、気がつくと日曜の午前1時。目もしょぼしょぼ、身もふらふら。PCから離れて気分転換につけたスカパー、ちょうど始りかけたトム・クルーズまがいのフランス映画「ナイト・オブ・ザ・スカイ」の、ほど良いBぶりが、凝りほぐしにぴったりで、すっかりハマり見入ってしまった2時ごろ、自宅電話が鳴った。この時間に電話が来るような仕事状況じゃない週末だ。電話機の着信表示を見るまでもなく、嬉しくて胸躍らせながら電話に出た。期待通り、ナチュラル。想像通り、気持ち良さそうなワイン酔いの声。実に2ヶ月半ぶりのささやく甘い吐息をドクドク耳が感じている。あっ。いたんだ?酔ってる。。。酔ってまた電話しちゃった。。。メール見てくれた?えっ。メール?2通も送った。。。えっ。2通?いつ?さっき。。。えっ。PC閉じて映画見てたから。なんて書いたメール?いいの。。。あとで見て。。。リブ。早くおいでよ。もうベット。。。いいよ。もう深夜だもの。そのままでタクシー飛び乗って。ううぅん。。。 迎えに来てくれないの。。。いいからぐずぐずしてる間に着いちゃうよ。深夜だから15分もあれば。。。15分後。本当に彼女は寝巻のまま玄関にいた。飛びつかれて戯れて、戸締まりをして、振り返ると、リブはグレーのゆるいスリーブレスな寝巻(ワンピ)姿で、すでにベットに横たわり姿態をあらわにさらしている。フットライトに浮かぶ、ふくよかなお尻をまるだしに。マジでー。ほんとうにベットからそのままノーパンでタクシーに飛び乗って来たのだ。信じられないけれど、あり得る。ファニーのゆえんだ。突き出された熟れた果実が無言で誘う。ちょうど2ヶ月前、突然の「もう一切関わりません 二度と連絡しないで下さい」宣言。2ヵ月後の先週末、2ヶ月ぶりの第一声は「酔ってる。。。」1時間の睦言深夜電話。3日前、2ヶ月ぶりのメールは「連絡先全て削除、着信拒否しました」宣言。そして今宵、深夜3時。2ヶ月半ぶりに飛んで来たナチュラルは、湯上がりに、かろうじて一糸まとった裸体もあらわに、はだけたゆるい寝巻姿だ。万事、こんな感じ。天真爛漫全開にリブ満開。こんな愉快な熟肌乙女はいないもの。2ヶ月ぐらい待ったって。なんてったって大自然。なす術なしの大女優。

目覚めは眩しい裸。ピクチャーウィンドーから射し込む青空を背に、いつもながら艶かしい裸で頭上をまたいでトイレにいこうとするリブ。あら、帰らななきゃ日曜だよ。仕事?11時から原宿のS美容室。だから帰って支度しなきゃあー。でもメンドクサイだから嫌なの。こうなるから???もう、近所だからこのまま行く???おいおい。せめてボクのパンツ借すからオープン・エアーで歩かないでよ。てな珍展開で、原宿駅近くのSヘアーサロンまで朝飯がてらワンコとともに10分くらいの朝散歩。今日は色の入れ直しもあるらしく、2時ご ろまでかかるとの事で、じゃ~3時にヤマハのカフェでと、いったん別れて帰宅。そしてPCを開けば、[●1通目 5月26日 23:00:43:JST 件名:酔ってる。。。本文:電話して。。。電話番号捨てたから電話できない。。。。(笑)] [●2通目 5月27日 0:44:16:JST 件名:諦める??? 本文:酔ってて会たい気持ちになってるけど 電話がないから寝てしまう。 夢心地は冷めたら泡のように。。。。]  PCを閉じて映画を見入っていたボクは知るよしもない。それにしても、よく他のメアドを探し出してきたものだ。それに、捨てた電話番号も。

うららかな午後3時、一足遅れて約束のカフェへ入るなり、西日にはじけたシャンパンの泡と彼女の髪色が、キラキラと美白のほおをゴールドに染める眩しさにほれぼれ。「せっかくだから、2~3見たいところがある」と、混みだした店を出て、寝巻姿にボクパンのリブと大混雑の表参道をそぞろめぐり、ココンゴで一服前に立ち寄ったUAレディースの地下で、ボクは30年前、お気に入りだったシャツとの再会に驚いた。リビングコーナーで売られていた洋書をめくれば、70年代後半、勇んで買ったライトニング・ボルトの半袖シャツだ。当時は珍しいパイル地のそのシャツを、あの"サーフィンの神様"ジェリー・ロペスが着ているお宝写真。あわてて、リブに駆け寄り得意になってサーフィン駄弁。「Leroy Grannis, Surf Photography of the 1960s and 1970s」には、ボクの夏が詰まってた。この日のような初夏の季節が。もう、とっくにセピアな懐かしいあのころ、潮焼けしたビックウェンズ デーが、カラーで蘇っていた。40歳の大自然。3つの会社の社長。18のハーフのひとり娘のママは、心も体もオープン・エアーな大胆と恥じらいの大人の乙女。こうして、ファニーとちょっとセンチメンタル、愉快と感傷に遊んだ日曜日は暮れた。
「LEROY GRANNIS / Surf Photography of the 1960s and 1970s」 Steve Barilotti/著者/Jim Heimann/編集/Leroy Grannis/写真/TASCHEN/出版/2007/4/4/初版/。 サーフ写真のパイオニア、リロイ・グラニスのベスト版とも言える、黄金期の60's~70'sに写された、伝説のサーフシーン、ロコのライフスタイル、輝くサーフバムたちが満載の写真集。

2009-02-17

IMG SRC 100


1989年11月9日、ベルリンの壁は市民たちによって、いとも容易く壊されていく。その一部始終を、生中継したテレビ映像が世界を駆け巡った。1961年から28年間、東西ベルリンを分断してきた門は開放され、歓喜に沸く東ベルリン市民たちが、西ベルリンに雪崩れ込んだ。この事態を軍事的に押さえ込む事さえできないほど、共産主義社会の超大国、ソ連は統治力を失い、国家は今の化石国、北朝鮮のように、とうに瓦解していたのだろう。その崩壊の最大の原因は、労働と富を共に分かち合うはずだった理想社会「共産主義」が、国民の等しくあるべき自由と人権を、体制維持の為に統制、管理、剥奪する過ちを犯し、終始、本末転倒した軍事独裁国家だったことだ。国家権力による暴力的、思想、宗教、芸術、言論の弾圧、統制下にあった国民は、自然の欲求として自由と人権を希求し、その満たされない当然の権利は、長きにわたって隣国(西ベルリン)から伝わるテレビ映像から、世界の事情、世界の暮らしを見続ける事によって募らせていった。テレビからもたらされた情報が、国民を動かし、国家を変え、東西の冷戦を終わらせた。

1998、その前年に他社の事務所に間借りする形で立ち上げたばかりの小さな会社、いやネットオタクの個人事務所といった方が正確なシフト・プロダクションから「IMG SRC 100」と題された一冊の本が編纂され世に出た。時は1995年以降、やっと普及し始める日本のインターネット黎明期。それは、インターネットとは何をもたらすものなのか?の答を、初めて日本に示した革命的な第一歩だった。札幌在住の大口岳人が個人的趣味として、当時バイリンガルで初めたインターネット・カルチャーマガジン「シフト」。世界中で沸き起こっていた、秒進分歩で新技術が生まれては、その使い方を駆使し真新しいデジタル画像を創作する、タイトルどおりな画像クリエーターたちを紹介するもので、そのサイトに集まった世界の若きイノベーターたちの中でも、最前線を行く100人の作品を、見開き2ページで紹介するものだった。世界100箇所の100人のクリエーターたちと、シフト(大口岳人)は、一面識もなく、電話での疑似リアルな直接交流さえもなく、片言の英語による100%サイバースぺースのメールだけで成り立った出来事。インターネットとPCさえあれば、都会でも辺境でも、性別も年齢も、文化も言語も生い立ちも違う、様々な100人がつながり、それまでどこにもなかった、ありえなかった事件を誰でも起こせる、IT革命の革命たる証明だった。

2009年、地球誕生から46億年。生命誕生から40億年。人類誕生から400万年。イギリス産業革命から249年。フランス革命から220年。明治維新から141年。20世紀の産業、経済、富の象徴T型フォードデビューから101年。第二次世界大戦終結から65年。プラザ合意から23年。ベルリンの壁崩壊から20年。そして、IT革命から16年。人類はわずか200年で、世界を小さく時間を短く地球を身近にした。しかしそれは考えてみるまでもなく、地球を俯瞰で眺めてみれば、赤子でもわかる話。そもそも地球は、空にも、海にも、陸にも、線の引きようのない、それ自体が生きたまあるい惑星。あらゆる生命の営みの源、生きた自然環境であるだけなのだから。自国だけで隔離しては生存できない。自分だけでは生きられない。生けるものの、この世に存在するもの全ての共有財産。「人は個性を生かし等しく平和に暮らす」。このために編み出された「宗教」は3000年来、今なお、自爆テロにまでおよんで宗教戦争し続け。良かれと思った「思想」は、世界を血の海と化した不幸な東西の冷戦期を生み、自国民を不自由な弾圧下に虐げた。自由主義の名の下に金融工学にまでおよんだ最後の一手「資本主義」も、アメリカ国民のみならず世界63億人を経済危機にさらしてしまった。人が編み出した、いずれの手段も、ことごとく莫大な犠牲を払い、膨大な不幸をもたらした20世紀。電波は国境をこえる。空も海も国境をこえて存在する。そして、ITはWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)。文字通り自由自在に63臆を瞬時につなぐボーダーフリー。

世界は太陽という誰のものでもない天恵を軸に、自然の力を借りて、宇宙の摂理と節度、いわば自然の憲法と法律をわきまえた、あたりまえの自然循環社会にならざる得ない。産業革命後の英ポンド、第二次大戦後の米ドル、そして、覇権国が存在しなくなった21世紀の今、人類は、世界統一の新基軸通貨「テラ(地球)」を持って、地球という共有財産を生かしあい、その恩恵の富を分かち合う、真の平等と平和の社会「地球民」時代の夜明けを迎えた。いよいよ、人類文化のガラパゴス「日本」の本領発揮の時代に。3000年をかけて、この気候風土の中で育まれた、ヘルシーでエコロジカルでリサイクルでミニマルな、そして何より、雅で繊細、かわいい緻密の美しい文化。いよいよ主役で出番です。だから、オバマ政権の特使クリントン国務大臣が、真っ先に日本を訪問し、真っ先に、畏敬をもって明治神宮へ参拝したのは当然の話。それは、リップサービスでも気遣いでもなく、マジ(真剣)に日本文化の助けが必要だから。1986年のプラザ合意で、G5は米ドルを助け、ソ連崩壊、冷戦終結ではG7、そして、地球がヤバイと、G8、ついに世界の金融経済破綻で、G20。未知の危機の度に頭数を増やしてみても、何も見えない何も解決できない。その混迷の救世主こそが、どこにも無い、誰も真似られない、自然の理にかない無駄の無い、「日本文化」。100年に一度の未曾有の危機なんかじゃない。100年間の過ちを正し、やっと人類は理想社会を建設できる、その時の到来だ!これがわかれば、あなたは21世紀の地球民。しかし、メディアも有識者も政治家も一般人も、だぁーれもわかっちゃいないのが当の日本とは、やれやれだ。

そもそも年齢通りだったのです。ただの若者アメリカ君であっただけなのです。仮想で巨万に見えたお金が無くなってみれば、中身は空っぽ、生き抜く知恵の「文化」の無い、ただの233歳。お金が紙くずであるように、大きく見えた力も紙くず。アメリカ君が再生すれば、世界がよくなるのでは全くない話。世界は、その土地の気候風土から生き抜く知恵として育まれた固有の「文化」、つまり個性を生かし、太陽という究極の自然エネルギーを主軸に、その土地固有の自然力をエネルギーに変換すれば、等しく豊かで平和な社会に変える事ができる。ITが辺境の地からたった一人で世界をかえられるように。その時、「自然循環の文化と精緻な技術」を有している国は、地球上で我が日本しかない事に気がつかざる得ない。自然から学んだ日本の2679歳の歴史「文化」が「文化」の無い巨体の若者アメリカ君を健全へ導き、「文化」はあるけれど、体系化された「技術」と「知恵」の無い世界の後進国に『日本』を提供すれば、旧来の南北格差を無くし、世界を生まれ変わらせる事ができる。相撲は小さな力士でも巨体の力士を打ち負かす事ができる。それは、イチローが巨体のベースボール・ビジネスを魅力的に再生出来ているように。『日本』が今の世界を救い、人類積年の真の豊かさと平和を導ける唯一の道。そもそも、テーブル上で理屈を遊ぶゲームだった「アカデミー」には生きぬく知恵は無いのです。生き抜く技は磨かれないのです。仮想を遊ぶがアカデミーですから。自然から学ぶ生き抜く知恵「文化」にしか。遊ぶは「アカデミー」学ぶは「自然界」。あなたの足下が大学です。それを20世紀は教えている。あなたは未だに20世紀の人?

「IMG SRC 100」 SHIFT PRODUCTION 編纂 株式会社アウラ 翻訳・出版 1998年初版 3,900円。タイトルの「img」 は IMaGe(画像)の略、「src」は 属性で指定した画像ファイルを表示するITの技術用語。まさにその名の通りな100人が世界地図にピンポイントされたカバーデザインは稲葉秀樹

2009-02-16

新学問論


新学問論 西部邁 講談社現代新書 1989年2月10日初版。540円。 戦後42年が過ぎた1987年4月24日、「朝まで生テレビ」の放送開始によって言論のタブーは解禁された。深夜放送とはいえ、テレビというマスメディアによって、しかも4~5時間をかけての生激論は日本における言論の自由革命だった。まだ、携帯電話もなく、もちろんインターネットも無い時代。戦後一貫して封印されてきた、天皇制、極東裁判と靖国問題、憲法問題、学生運動と安保闘争、そして部落差別問題、などなど、当時としては、ひとつ間違えれば過激派による殲滅というテロが起きてもおかしくない危険な問題を率先してつまびらく。ここから、今の厚労大臣、桝添要一(当時、東大教養学部・国際政治学者)、今の東京都副知事、猪瀬直樹(当時、作家)、今の秀明大学学頭、「発言者」塾長、西部邁(当時、東大教養学部教授・経済学者)らは、鋭い論客として世間の知るところとなる。

この番組が誕生できた背景は、80年代中ごろから共産主義革命国がほころび始め、時同じく1986年のプラザ合意を起点に、資本主義経済の通貨安定がはかられていく変革期で、世界情勢は大きな転換期を迎えていた事だ。それは、翌1988年、現実となっていく。ソ連はゴルバチョフ政権を樹立させ、事実上の共産主義革命終焉を意味するペレストロイカ(民主化)を掲げ、ついに1989年、ベルリンの壁は自然崩壊。東西の冷戦、鉄のカーテンは幕を引く。一方、日本では、1989年、昭和天皇の崩御によって表向きには戦後は終わった。世界は大世紀末感漂う中、アメリカ一極のグローバル経済時代が跋扈していく。日本はやがて来るバブル崩壊も知らず、土地神話の徒花に狂乱していく。そんな歴史的転換点の不確かさに揺れ動く時代に、かつて60年安保闘争では、東大ブントの指導的活動家だった西部邁は、「朝まで生テレビ」を舞台に、体系的歴史観と冷静な20世紀の総括から、世界と日本の状況を最も論理的かつ明快に示す真の「正論」者として、今日の立ち位置を鮮明にする。この薄っぺらな新書は、その後のリーマン破綻からの金融資本主義崩壊、そして今始まった、真の地球民平等社会時代の源を知るには、20年の時を経て今なお最適の手引書だ。写真小は、その時期を物語る「TIME」誌の1988年の表紙。新年の始まりは「ゴルバチョフ」から、そして終り(同年12月発売の1989年新年号)は「地球」。今の変革につながる始まりがここにある。思えば当時、33歳。僕はニュースキャスターを勤める当時のカミさんから、小西部、小舛添、と呼ばれていた。53になった今、僕はいったい何と呼ばれているのだろう。

2009-02-15

PORNSCAPES


ボクは息をのんだ。見慣れているはずなのに。。。一瞬、ジャック・ニコルソンとヘレン・ハントの主演映画「恋愛小説家」の、バスシーンが浮かんでいた。強盗事件の被害を受けたショックから、絶筆にいた、ゲイの画家役グレック・キニアは、偶然ドア影から見えた、バスタブに腰をかけ髪をまとめるヘレン・ハントの裸体に心奪わる。そのシーンだ。左手で湯と戯れる艶やかなS字の姿態。ほの明かりに映えた目映い白肌。素心の女体に魅せられた画家の絵筆は、ひとりでに走り出していた。。。

ルームサービスで食事を終えた後、いつもどおり湯船で四方山つかり愛、すっかり、なごみに潤ったリブは、ひと足先にバスを出た。浅くなった湯船で、ひとりぼんやり至福のいとま。そしてバスルームを出ると。。。ピクチャーウィンドーに広がる夜景のパノラマを前に、湯上りの火照てる余韻を楽しむかのように横たわるテーブルの裸婦。いつの間にか、昨夜の披露宴でいただいた引き出物だったウェッジウッドのキャンドルが灯されている。蝋灯りと街灯りにさらされて、嬉しそうに連なるカーブ。カメラは無心に撮りつづけていた。ボクは初めて女体のヌードを撮っている。いつまでも、うっとりと眺めていたい美景に酔いながら。。。

つーぐらい、マイ・ファニー・ナチュラルさんの、無邪気にはじけるすっぴんの仕業には、いつもドキドキさせられた。いったい次は何が起こるか予測がつかない大自然。この日だって、突然だ。前日、軽井沢のホテルで所属する女優の挙式があって、参列した夜の11時くらいだったか、ハレと酔いに疼いたのか、壊れたのか、甘露な声で来ればーと、電話をかけてきた。電話を切って慌てて新幹線の時刻を調べるも、時すでに遅し。やむなく貫徹明けの始発で軽井沢へ向かった。9時前の朝靄につつまれた肌寒い6月の避暑地。駅からタクシーを飛ばし、森のホテルに着くとほんとに来たっと、徹夜明けは、ぬくもりに抱かれてのしとね。そんな金曜日、八重洲に着いた夕方、なんだかこのまま家に帰りたくないの一言から、ニューオータニに部屋を取ったその夜の話だ。女のすべてを狡猾に意図的に駆使する悪女と、丸裸の素のままに、気の向くままに発露している天然は、まるで違うが、いずれにせよ、それを知りつつ翻弄されるのも男冥利。ふりまわされてなんぼが楽しくなきゃ男はやれない。それも、大自然の予測不能なハプニングの連続は、愉快この上なしと。 もともとじゃれ愛は、たくさんカメラにしまわれていたけれど、メイクラブとは別世界のヌードを虚心に撮れた一瞬だった。アラーキーの気分をちょっと初めて味わった。そんなこんなで実は、非売品ながらB5変形の「RIBSCAPES」という写真集が出てしまった。おかげで隠れヌードフォトグラファー。きゃぁー。でも白状すれは、音楽と国語は最低、されど美系と理系は得意だったせいで理系に行った身の満たされない虫のうずきが、彼女との出会いで目覚めた。絵筆で裸婦を描きつづけて終わりたいと僕はマジなのだ。彫刻や絵画の裸婦像がふくよかであることが、やっとわかる。そんな気になる歳になったのか。それにしても、純心無垢な熟れた大人の乙女にはかなわない。こんな愉快で可笑しいものはない。時に凶暴で、時に凪ぐ、神々しい大自然。理性という厄介な拘束を見事にとろけさせてくれる、女神は最高!

PORNSCAPES Photographer:Pierre Radisic Publisher:GOLIATH BOOKS 2007年初版。 写真はフォトグラファー、ピアーの夫婦間で営まれたラブライフをアーティスト・カップルならではの視線と加工で作品化した、可笑しみと慈しみさえ漂う私小説ポルノアート。アラーキーとも底流でつながる、愛でなりたつふたりの世界。ただ、写真とはいえ官能的ではないので、ふたりの「グラファック」として観ると納得かも。リブいわく、「他人のは観れないけれど、自分たちのは観れるのね」。そう、ビーナスはふくよかじゃなきゃ。

2009-02-14

テキサス女子は東京を狙う


Sports Illustrated 1964.4.20 「テキサス女子は東京を狙う」 と まあ明快でシンプルなカバーなこと。写真は世界最古で世界最大のスポーツ週刊誌、ご存知「スポーツ・イラストレイテッド」1964年4月20日号の表紙。この年の、10月10日が東京オリンピック開会、その半年前の東京オリンピック特集号だ。当時の米五輪戦略があっさりわかります。この珍品を見つけたのは、NYの週末恒例蚤の市。なんだか近所の東郷神社で週末、開かれる蚤の市みたく、こなれた専門業者らしき一軒の軒先で、ジャンク衣料の脇にあった雑誌の山から奇跡的に出土した1981年秋。東京オリンピックは、当時、小学4年生だった幼年期に来るべき日本の近未来を見せてくれた革命的な昭和の事件。そういう意味で、2016年東京オリンピック招致活動が、お若い諸兄を中心に「そんなのカンケイねぇー」と白々しい気分が残念だ。小4がオヤジになっても、こうして世界で経済的にも貢献するのがオリンピックなんだけどネ。

マイ・ファニー・ナチュラルさんは、小粒ながら濃い味系の芸能事務を営んでいるのですが、たまたま事務所の看板女優が舞台公演で一ヶ月も吉祥寺に通うことになった一昨年の暮れ、舞台の合間に駅前デパートで、「誕生日の新聞」というサービスに出くわした。当夜、仕事を終えて自宅で合流すると、そんな話をしだして、まず自分の誕生年誕生日の新聞コピーを出し、つづいて娘、それに飼い犬、そして田舎の母親と、年代別に新聞の記事を見せだした。いやいや、昭和一桁、昭和40年代、平成元年と、女系3世代の新聞は笑える日本史。そして最後に、僕とワンコの新聞が出されて、妙に嬉しかったのを思いだす。笑える昭和30年の新聞広告もさることながら、正直、家族あつかい、仲間になっていたことがジンときたのだ。365日、誰かの誕生日だろうし、誰かの記念日。こんな300円のお気軽な新聞から、誕生年のワインまで、お祝いに生誕は使えるが、写真左は1955年4月4日発行のスポーツ・イラストレイテッド。最古の雑誌ならではで、こいつもそんな記念行事に使えます。ちなみに私は3日生まれ。さぁーヴァレンタイン。大いに愛を語りあって世界が平和でありますように。

"Sport Illastrated Cover" こちらで、あなたの誕生日をお探しあれ。1954年から最新号まで揃ってます。開いたサイトの SELECT COVERS BY の Year からご自分の誕生年を探せば、懐かしいあの時代が新鮮に蘇ります。
"Sports Illustrated Swimsuit Issue" スポーツ・イラストレイテッドが年に1度発刊する。大人気のスーパーモデル水着特集。スーパーモデル45年の歴史が一目瞭然。《1964~1979》 《1980~2006

2009-02-13

会社案内はベストセラー!


2005年から2006年にかけて1年契約で、上場とともに飛ばしていたアニメ制作会社の雄「GONZO」のブランディングを引き受けた。若き社長の下、週一で全社から選りすぐられた精鋭たちと、破竹の急成長をしている会社を社内外にきちんと、一筋の明快な幹を打ち立ててお見せしようという計画。会社は生き物、日々良いところも悪いところも成長してしているわけで、様々な課題を同時進行で改善していかなければならない。そんな行動計画満載の中、底をつきかけた会社案内を急きょ作るという話が持ち込まれた。企業買収で毛色の違う様々会社も加わり、散漫になってきた会社案内。時まだ、求める軸を共有しきれていないプロジェクトの立ち上げ期なだけに、僕は改革の真髄、改革力をわかりやすく理解してもらえるチャンスと、「売れる会社案内」「買いたい会社案内」というコンセプトで、写真のダミーを用意して提案した。そもそも、会社案内は、営業のツールとしての機能と、ややもすると会社の自己満足的色彩が強いものになりがち。また従来、その高額な制作コストに直接の投資費用対効果を期待していない。そこを真逆に、かけた制作費は売って回収。利益の出る会社案内。書店でネットで世界に売れる、わが社の会社案内はベストセラー!をコンセプトにしたわけだ。というのも、アニメは世界商品、日本が誇る文化の経営資源だ。当然、会社もそこを意識している。そこを、既存のコアなゴンゾマニアに止まらず、世界のアニメ市場で群を抜いた、これぞ日本文化、日本企業!をお見せする。これこそプロジェクトの本題なのだから、群をぬく国際宣伝力と販売収益とは一石二鳥。分厚いマンガ本の中に、創業以来のアニメコンテンツをアートとして大胆に扱い、書店の売り場も、新刊コーナー、アート・ファッション情報コーナー、オタク・アキバ系コーナー、経済ビジネス書コーナー、いずれの領域から見ても頭ひとつ出ている「何これ?」そして「すっげー!」なカルチャーブック、それすなわち「わが社の会社案内っす」。「お買い上げありがとうございます」。を目指したわけだ。プロジェクトチーム内では了解されたこの案、残念なことに取締役会では、「マンガとアニメは違う」といった意見が支配的だったようで、結局、お蔵入り。その後、会社は急速に業績を落とし、1年契約満了も待たずにプロジェクトも頓挫。あれよあれよと創業経営陣の総退陣となってしまった。改革とは既知にとらわれず未知をダイナミックにスピーディーに決断できる事によってのみ達成されるのです。若き経営陣さえも、過去の経験と業界の既知につかまり墓穴を掘る。この壊す、抜きん出る、がー難しいのですねー。伝統(トラディショナル)とは、その語源であるラテン語によれば、「トランスメットル」と「トライゾン」、「引き継ぐ」と「裏切る」という2つの背反する言葉が内在されている。まさに生命の進化の過程そのもの。先人の生き抜く知恵を受け継ぎつつ、誰よりも早く既定を大胆に裏切り続けられたもののみが、今日、生きている自然界と。詳しくはこちらを! 今日は時効ということで秘蔵の蔵出しを1冊でしたぁー。ガンバレゴンゾ!

「GONZO」 Publisher: GONZO 定価1000円 未発売 2005年。(全身光沢の「銀」仕様と、全身光沢の「黒」仕様の2タイプ制作)Creative Direction & Planning: Okada Yoshitada + Art Director & Designer: Minezaki Noriteru

写真のデザイン&ダミー制作はデザイナー峯崎ノリテル。彼は僕が命を預けている最も信頼をおく若きデザイナー。というのは僕のあの名刺が彼作。彼の代表作で世間が知るところでは、「カーサ・ブルータス」のロゴ。現在は、日本を代表するサブカル誌「スタジオボイス」「スペクテイター」、モード誌「ヴォーグ」などのアートディレクターとして大活躍中の憎めない優しい日本を代表する奇才・天才クリエーター。

2009-02-12

Andy Warhol's Index Book


NYデビューは遅かった。ヨーロッパや西海岸は大学時代に経験できたが、それも3年のころ。NYは就職して間もない80か81年ごろだった。職場は百貨店だから、当時、NYの百貨店「ブルーミング・ディールス」のリモデルが世界的に注目されていたこともあって、「サックス・フィフス・アベニュー」「バーグドルフ・グットマン」なんかを視察しつつ、「ストゥーディオ54」をはじめとしてナイトクラブをクラビングーの仕事半分、遊び半分の10日間。その時、コロンバス界隈だったと思うけれど、アンティークな雑貨&アクセを扱う店で、思わぬ珍品を見つけたのが、写真のアンディ・ウォーホール・インデックスブック

見れば1967年にランダムハウスから出された正真正銘のウォーホールのポップアップブック。傷みありありのバットコンディションだったけれど、もうナケナシノ即買い。ゲイの店主にぼられた気もしたけれど、確か2万円くらいだった。エディションが入ったペーパーオブジェっー作品本の中に、4ヶ所、開いてポップアップする手法を入れたデザインページがあったり。写真もグラフィックスもエディトリアルも唸りっぱなしにイイ。そー唸るって、ソノシートが付いたページに、アコーディオンが鳴るページもあって、仕掛け本に見られそうだけど、完璧にアート。文句なく抜けるシビレる本が作品。ポップアップを書いた前の記事で、すっかり忘れていたウォーホール。思い出して早速、日本のオークションサイトをチェックしたら、20万~30万と値が付いていてびっくり。一応、本なんですけど。サインがあるから高値になっているんだろうなぁー。最後のオカダ文庫をまるごとお持ち帰りになった古書店主、さぞかしいい買い物したなぁー。あの時のあの笑みは、お宝満載でシメシメだったんだろうなぁー。なんと儲けが薄い人生なのか。されど思いで濃いからよしとしますか。

Andy Warhol's Index BookAndy Warhol Publisher Random House 1967年初版 $4.95。

2009-02-11

The Pop-up Book of Sex


ポップアップブック(飛び出す絵本)の起源や歴史は詳しくないが、思い起こして少なくとも1955年(昭和30年)生まれの僕が、小学生の低学年ぐらいの時には読んだ(見ていた)記憶があるので、さほど特別な物でもなくフツーに普及していったジャンルなんだろう。子供の絵本や、科学物、SF映画の本格キャンペーン物などなど、もう今や、様々なテーマで様々なポップアップのデザインナー、作家たちが手の込んだ大人趣味な本を世に出しているのだろうが、2年前、まだ毎日が蜜月だったマイ・ファニー・ナチュラルさんへ、いつものように毎日がさり気ないオクリモンのオクリモノに、何か新味な変化球はないだろうかと街もネットも徘徊していたら、やっぱりあった。この領域。

The Pop Up Book of Sex」 Harper Entertaiment 2006年初版 Hard Cover/about £17.99¥2,182。 発見の時期がちょうど、テンコ盛りBD(誕生日)プレゼント詰め合わせセットを思案していただけに、タイミングよい脇役だーと、すかさずネットで取り寄せた。教育物のセックスや、これぞポルノ!なポップアップブックもきっとあるのだろうけど、こいつは、微妙。エロイといえばイラストレーターの画風がマッチしているのか。。。僕がもはや老練すぎて、熟れたリブさま以外にはセクシャルな刺激を感じないのか。。。ともかく、フツーにインテリアしていてもナイスな1冊で、僕的には◎。キッチュな装丁・表紙のデザイン。仕掛けも壊れそうな危うさ。マジなエロ本をお探しの向きや、精度を求めるとバットですが、ぎこちない動きを可笑しんで、なごみのじゃれ愛には使えるます。ちなみに内容は、お決まりなシチュエーションで、オフィス、キッチン、バス、ベッド、アウトドアなどなど、6シーンの12ページ建て。インテリアに開いておいてあってもイケルと思うなぁー。

2009-02-10

グルメの食法


団塊の世代は、ご承知の通り日本の人口構成では最大組。その大量人口も、すでに大量退職、大量年金需給者となって、最後の最後までお国に迷惑千万な方たちだ。というのを、わかりやすく乱暴に語れば、60年代後半から70年代にかけて20代前後の大学生だった彼らは、かつて、ソ連、中国に端を発した共産主義革命が、東欧、ドイツ、そしてアジアの朝鮮半島、ベトナムへと拡大していった世界同時革命の潮流に盲信し、反体制の狼煙を掲げ、打倒国家権力!目指せ暴力革命!と、革命闘争を過激に暴走エスカレートさせていった学生運動時代の当事者世代。当時、全国各地の大学という大学は、彼ら学生たちによってバリケード封鎖され暴力的戦場と化していた。彼らのいう国家権力との攻防戦は、やがてその象徴、東大安田講堂占拠立てこもり事件、各セクト間の内ゲバ殺人、殲滅という殺人テロ、浅間山荘事件へと突き進み、当然の帰結ながら自滅を辿っていった。ところが、ノンポリ糾弾!と、アジり、デモり、ゲバルトしては、日本中を壊しまくった彼らは、学生運動の終焉と共に、ヘルメットと角棒をスーツとネクタイに変え、気がつけば通勤電車を満員電車にしていた。それは、今の中国と同様に、大量の人数分だけ物が売れる大量生産、大量消費の主役と豹変し、ニューファミリー世代と呼ばれて消費を謳歌する顛末。かつての言説、行動に対する自己総括も責任の所在も明確にすること無く、数の論理の開き直りとも言えるギャグの名言「赤信号、みんなで渡れば怖くない」を流行語にして、とうとう人生の黄昏まで無責任極まりない、やりたい放題をまっとうした世代。しかし時代の本当のキーマンは、彼ら闘争の多数派ではなく、少数派にあった。当時の大学生を100とすると95%は、このいい加減な革命盲信・日和見・無責任・闘争世代。一方、残る5%は、そんな世情にあった当時の大学には居られず、そのほとんどが国外へ遊学に出る。何故なら学内では、総括という名の吊るし上げ、ノンポリ糾弾を受け、そもそも大学が封鎖されていたからだが。その遊学組みを大雑把に分ければ、1.社会のエスタブリッシュメント、裕福な子弟。当時、社会的地位のある親世代にとっては、自分の息子、娘たちが学生運動に参加している事は、家名や就職に汚名や社会的不利益を受けるという世情にあった。2.ただ単純に最大公約数を嫌う天邪鬼。3.純粋に美術、音楽、芸術、学術、など、エンジニア、クリエーター、アーティスト志向。4.各タイプを横断して存在したヒッピーかぶれ。そんな事情の違う5%の4タイプたちは、学生運動の鎮火後、大学が正常に機能しだした70年代初中期から順次帰国をしだす。世界に散らばった遊学組みは、未知のロンドン、パリ、ニューヨーク、LAなどで、当時のファッド(風俗)、今でいえばストリートカルチャーを体感し、人脈とカルチャーと語学力、そして国際感覚を身に着けて帰国。そんな5%の少数派が、その後の70年代中後半から80年代初頭に、自分たちのファッション、フォトグラフ、グラフィック、ムービー、ミュージックを紡ぎだし、社会のファッション(流行)を作り出す。世界にあって東京にない、音楽を、ファッションを、インテリアデザインを、飲食の新しいスタイルを次々と生み出し、そのコンテンツを残る95%、かつてのゲバ棒組みの大量消費者たちによって消費される経済の構造が作られた。付け加えれば、95%の中で最もたちの悪い闘争のリーダー格たちは、その後、日本のマスメディアに多数入り、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌を通じて、今尚、報道の中立性という名の元に、かつての反体制的姿勢で、この20年間に14人もの総理大臣を瑣末な言葉狩りで引き摺り下ろし、国内世論はおろか、近隣アジア諸国を巻き込む国際世論まで混乱させ続けている。以上が乱暴すぎる経緯の概要。 さて、以上を踏まえて出来事を眺めると、時代の中での意味・価値・位置が読めてきます。

グルメの食法 玉村豊男 TBSブリタニカ 1991初版 1500円。 多作家である玉村豊男氏の著作の中で、唯一残した1冊。といっても、彼のデビュー作「パリの雑学ノート」1967初版。と、「回転寿司は世界を回る」2000年初版。都合3冊しか手にしていないが、この「グルメの食法」こそ、僕に日本文化は人類文化史のガラパゴス論を書かせるきっかけとなった、僕的食文化の歴史認識に確信を持たせてくれた貴重な手引書だった。ここで、前説が、非常に長い理由がお分かりですか? 彼こそ、革命団塊人の中の希少な5%組み、1+3の典型なのです。紛争の日本を離れて遊学から帰国後、「パリの雑学ノート」で華麗にデビュー。その後、70年代後半から80年代にかけて、ニューファミリーたちの飲食生活のスタイルをリードしていく指南役として大ブレーク。正統的、グルメ、グルマン、美食家の代名詞となって、1983年には長野へ移住。2003年には、念願のワイナリー「ヴィラデスト・ガーデンファーム&ワイナリー」を開設して現在にいたる。「パリの雑学ノート」は、今でいえば「パリノルール」。当時は、そもそも海外情報が何も無い時代、唯一の観光ガイド本にも紹介されない、ネイティブな街案内を、若い日本人の目線で、日本とは大きく異なる真逆文化の集積地パリのディティールを克明に記した、リアルな生活案内書の草分けとなる。その後の、雑誌、旅行、飲食、空間と、様々な分野に影響を与え、グルメブームの起源となった歴史的名著。

2月5日「東京エスニック料理読本」で紹介した、センチメンタルシティースタジオの面々も、玉村豊男氏同様に5%の希少な遊学組み。幸いにも後輩世代の僕は彼らの足跡と重なる事ができたが、さらに、「パリの雑学ノート」でカルチャーショックを受けた後輩世代は、2003年、玉村豊男・画家活動10周年の記念祭「玉祭」を企てさせていただくご縁に恵まれ、報酬とは別にボーナスとして玉村氏から「オデオン交差点」を頂く事になろうとは。人生は本当に面白い。5%団塊との巡り合わせもさることながら、とうとうひょんなん事から「団塊の世代」の名ずけ親、堺屋太一氏と巡り合い、昨年から愉快な企てをさせて頂いている。これって35年におよぶ長年の天敵と和解?本当に一件落着?

2009-02-09

grafuck


「至福」って、すべてから解き放されている瞬間なんだろうなぁー。それは「たわいもないいとま」。ひとり湯船につかり、ふ~と息をもらす。たらふく名店で美味いもの食したあとの憩い。無邪気に跳ねる子供をぼんやり、何気ない彼女の仕草や声色にときめき、日差しに艶めく後れ毛にうっとり。そんななごみは、悩みも迷いも時さえ消し去る。それは「冷静な夢中」。たとえ失笑をかう三振でも納得のいく無心の空振り。風を捕えたジャンパーが浮力に運ばれる飛行時間。100メートルを疾走しながら無意識の五感が時速40キロを記録する9秒69。酸欠になるまで虚心で舞ったリンクの4分。快心のプレゼンが出来た会議室の空気。観客を鷲づかみした演奏で舞台と客席が一体となったその時。時間も自我も消えうせて、分け入ったその道の冥利に尽きる至福に酔う。それは「時を消す官能の浮遊」。欲情にのぼせる体の疼き。抑えきれない本能の目覚め。沸きあがる愛欲を獣のように貪りあう。甘味なまどろみ。けだるい余韻。もうなにもいらない。もうどうなってもかまわない。すべてをなくすエロスとの睦言。すべての細胞が歓喜する生を感じるひとときの浮遊感。「至福」って、理性を脱ぎ捨て自由を得る一瞬。まる裸な自分を感じるときっ素。

grafuck erotic art book Me,Me publishing $24.95 about3000円。 今宵満月、マイ・ファニー・ナチュラルさんは大自然の摂理に突き動かされて、まる裸。僕にまる裸の至福を教えてくれたリブさまとは、何もなくても日常的に、こんなオクリモンで息も肌も合っていた。この「グラファック」に始まり、いったい何冊のちょっとエロティックな本とタンガをオクリモノしてきただろう。写真は、イニシャルを見つけたレアなアンティークボタン、キッチュなエスニックピアス、それを入れたアンティークなリキュールグラス。それとタンガ。本とタンガが基本セットで、あとはその時の気分と状況で、キャンドル、バスバブル、アクセ、ローズ、お香、などなどなど。特別なんかじゃない、思いつきと機転で日々の徘徊からサンプリング。ノリとカンでみつくろった小間物の品々と本とタンガがミックスされたオクリモンのオクリモノ。そろそろヴァレンタイン。本だって、ただ読むだけじゃない、使い方、魅せ方、奏で方、自由自在。ちなみに内容は、昔の横尾さんみたいな世界を今のアーティストたちが様々に描くエロチック・アート本。とは言え刺激は激甘口。どこにでもフツーに置いておいておける小型のペーパーバック。インテリアなブックっす。至福って、美食欲、存在欲、肉愛欲、つまり3大強欲が満たされたとき?

2009-02-08

Gypsy Jazz Song Book

こうやって50年史をふり返るまでもなく、自我に目覚めた12~3歳のころから今に至るまで、成るべくして成った天職と確信せざる得ない「楽しい企ての百貨店」マンなのは自他共に認めるところ。しかし、白状すると、この間、2つだけ就いてみたいなぁーと憧れた仕事があった。そのひとつは、映画「うず潮」(1975)を観た瞬間に妄想が疼いた調香師。主人公イブ・モンタンは、ひとり南海の孤島で花を育て、香水を調香する香水作りの名人。その悦楽的南海生活から生まれる香りの雫は、NY本社の巨大企業から世界へ届けられる。つつましいプリミティブな暮らしから世界のビックビジネスが生まれる構図が気持ちいい。それに何より、南海の孤島で毎日が香りを奏でる生活。香りの作詞作曲家だ。世界中のお婆ちゃんからマダム、マドモアゼルまで、代を重ねて受け継がれる香り。女の一生に、ふっと訪れる、ちょっとしたトキメキを、目に見えない香りで火照らせるなんて。年齢をこえて男と女を近づける香りの言葉。男と女の五感をくすぐる僕の香りは、シャネルのstimulis。うわぁ~なんてファンタスティック!小瓶のひと雫が、男と女を夢見心地に予感と余韻で酔わすなんて。これこそ究極の影の仕事~!と、妄想・空想・夢想が炸裂。

それともうひとつが、2001年、オランダはアムステルダムを拠点に世界中のストリート、ライブハウスで爪弾くジプシー・スイング・ジャズトリオ、ロビン・ノラン・トリオ(RNT)の初来日で、ツアーのプロモーションとブッキングマネージャーを引き受けた時。これは天職!思わず声が出た。こちらは現実的な妄想、でも、ゆいつ英語力のみが障害だった。彼らのライフスタイルは、基本が地元アムスでの路上ライブ。そして、インディーズのCDを背負っては、オフィアーのあった世界のジャズ祭やライブハウスを巡業する10ヶ月。残りの2ヶ月はアムスで録音やメンバー各自のバカンス。仕事はHPでの告知とメールによるコンタクト。地球の出先でホットメールをチェックするだけ。人生はそもそも明日の知れない長旅だ。レアなジャンルゆえ、コアなファンとグルーブできるグローバルなツアーライフ。鞄と楽器と体ひとつの旅人生。あぁー、何てシンプルなんだろう。ただしツアー&ブッキングマネージャーは、どんなアーティストでもいいってわけじゃない。ロビンとケビンのお伴なら生涯つき合えると確信したまでだ。それは彼らの謙虚な姿勢と人柄、それに素晴らしい技と情熱が、僕を虜にしたからだった。ホテルのバーラウンジの袖で出番を待つ間、ロビンはポケットサイズの日本語ガイドをひとりめくり、すぐ聞いてくる。ヨシ、これで発音いい?ヨシ、これは使える?世界を魅了する若き天才ギタリストは、世界の路上で鍛え上げられたプロの芸人そのものだった。
Gypsy Jazz Songbook and Play Along CD Volume 2 Robin Nolan Trio $50。 写真上は、初来日の約10日間にわたった東京・札幌ツアーを終えて、彼らが帰国したあと、ロビンから送られてきたRNTの音楽教則本。当時、3冊が出版されたようで、その3冊とCDが送られてきたので、僕は早速、オファーのあったJWAVEの制作担当者に届けて営業。実はその後、この本が行方不明で、今もって行方を追っている。何故かといえば、替えがきかないのだ。そのソングブックには、日本ツアーの紹介ページに、僕が札幌で撮った写真(写真小)が載せられていて、その上に手書きのお礼が添えられていた特別な1冊。しかも、気を利かせたらしく、フォトグラファーのクレジットまでご丁寧に印刷されている、、、だが、それが間違いで別人名。彼らはそのミスを知らないだろうけれど、それもまた、ご愛嬌。そんな大切な買い替えの出来ない思い出のソングブック。写真は、雨の9月、札幌4丁目プラザ前のスクランブル交差点。信号が変わる直前に交差点のど真ん中でポーズ!愉快なツアーの一瞬だ。

RNT first japan は、アムスの路上で聞きほれた宮越屋珈琲社主、宮越陽一氏が、ぜひ日本に呼びたいとの熱意から宮越氏のスポンサードで実現。その企画は、イデー・ロジャック(青山)、フォーーズンズホテル東京椿山荘、札幌グランドホテル、札幌パークホテル、札幌三越、カフェグローブ・ドット・コムローランドUHBJCOM札幌などの協力社を得て、無事10日間の初来日ツアーを終えた。ツアー最後の夜、身内の打ち上げ時に飛び込んできた911のブレーキングニュース。二重に忘れられない2001年の記憶となった。そして記さなければならないのは、影で支えた宮越夫人の尽力。彼女の気配りなくして成功なし。感謝。

RNT LIVE @YouTube ロビンとケビンの卓越した妙技を1曲!納得必至!

2009-02-07

10セントの意識革命


1986年、自分のオフィスを事務所ビルに構えたころ、ちょくちょく立ち寄っていただいたアートディレクターT大先輩に、ここへ来ると「オカダ君の脳内を見ているようだ」と言われた事があった。スタッフとは別に、約10坪の自分だけのオフィスは、2面が角窓で2面が角壁の、ほぼ正方形で、その壁が床から天井まで作り付けの本棚だったからなんだろうが、言われてみて気がついた。専門的洋書や全集物を除けば、棚は食から性まで、蟻から宇宙まで、もう森羅万象、多岐にわたっていた。それは、単に興味関心が沸いたままに並んでいった、いわば岡駄趣味のインデックスだったのだろうが、ふり返れば、自分と時代をつないだ所縁の書籍。常に回顧をともないながら進行する自分史と未来探索の装置だったのかもしれない。1992年、オフィスをたたむ時にスタッフルーム壁一面の、ほぼ創刊号から揃っていた和洋雑誌群を処分したが、5トントラック1台分には驚いた。2002年、離婚を期に東京へ都落ちする時にも、かつて自分のオフィスにあった書籍群が、やはり5トントラック1台分だった。その本を引き取りに来た古書店主が、ほくほく顔で「これだけバランスよい多趣味な稀本の初版が、まとまって出土したのを見たことが無い」と、唸っていたのを思い出す。ゲバラブームに物申す!がきっかけで、もはや幻、記憶の中の「オカダ文庫」を日々思い出し笑いしながらこうしてブログしていると、曲があの時を蘇らせるように、本もまた鮮明にあの時のまま蘇る。そして、あの時と大きく変わった我が外見と残り時間に焦らされるのだが。

10セントの意識革命 片岡義男 晶文社 1973年初版。 1973年といえば、ジャズと革命にのめり込んでいった高校3年の18歳。吉祥寺の下宿アパートで大学生たちに混じって唯一人の高校生だったころ。世は、ガロの「学生街の喫茶店」、かぐや姫の「神田川」が大流行。大学生も高校生も切ないフォークソングに酔っていた。クラスメイトたちはロックとフォーク。僕だけがジャズと革命。まるで今に通じる光景だ。片岡義男は、そんな時代に評論集「ぼくはプレスリーが好き」(1971)でデビューする。当時ジャズかぶれの僕は、何故か「10セントの意識革命」を手にしている。やがて来る学生運動の終焉を予感するはずもないけれど、彼の登場こそ、その後の「ポパイ」創刊につながるウェストコーストカルチャーの黒船だった。ふり返れば、当時の自分に、この1冊が近未来の種を植え付けた。僕は時代の転換点を潜在させながら、待ちわびた大学闘争に突入していった。デビュー以来、その後のウェストコーストの風に吹かれて人気作家となった片岡義男。今でも当時からのファンが多いにもかかわらず、後にも先にも僕の本棚にはこの1冊。それも322ページの中のわずか1節だけが永遠に刻まれている。それが僕の自動車乗りの気分。革命ここにありか。

2009-02-06

INTEAAUPTD PROJECTIONS


インタラプテッド・プロジェクションズ ニール・ディナーリ ギャラリー間 選書04 1996年初版 TOTO出版 1529円。

人生、何かが動き出す時って、必ず鍵となる物・事・人との出会いが立て続けにやって来る。それも、思いもよらない方向から。ヨーロッパならともかく、アメリカの建築家では珍しいペーパーアーキテクトだったニール・ディナーリが、にわかに日本で話題となったきっかけが、1989年、東京フォーラム設計コンペで、彼のプランが佳作に選ばれたことだった。僕はかねてより彼の空間、というより表現に、どこか幼なじみのような親近感を覚えていた。それは、世代が近い事から来る成長期に得た文化的時代背景を共有している事なのか。いや、同世代建築家で最も尊敬するヘルツォーク&ムーロンらに、そんな同類感を覚えはしないから、やっぱりピンポイントで通じる何かがあるのだろうと思っていた。そんな折の、1996年9月~10月にかけてギャラリー間で、彼のエキシビションが催された。それも、ペーパーアーキテクトとしては、作品本まで出版されるという異例な扱いだ。早速、会場に出向いてみて、胸の痞えはあっさり下りた。その親近感の正体とは、記号論を専攻した身として感じるものだった。彼の吐く、建築の語り口、見せ方は、シンボリックな記号をグラフィカルに綴った表現なのだと。およそ、既存のアカデミーな建築界の言い回しではない事なのだと。わかりやすく言うと、例えば、法廷という専門世界で交わされる言語は硬く難しくわかりにくい。それを、我々が日々親しんでいるセブンイレブンのサイン(記号)やベンツのマーク(記号)を使って語ると、意図、イメージがぱぁーっと広がり一気に伝わる。つまり、わかりやすい例え(サイン)を連ねて文章を書いているみたいな手法。もう少し言えば、記号(サイン)性のある例えで、難解な原文を翻訳して伝えているってわけだ。そういう彼の立ち位置ゆえ業界では異端だろう。その一点が僕と繋がっていたのだ。なるほど、実作品が少ないわけだ。ところが、おりしも1996年の日本は、インターネットが急速に普及しだした矢先。彼の発案したパソコンのブラウザやアイコンを引用したりのグラフィカルな通訳表現が、ジャストヒット。日本のグラフィックデザイン、雑誌、書籍の装丁、編集デザイン、果てはテレビの映像デザインにまで引用、応用される大ブレーク。皮肉にも、彼の建築言語の通訳手法が、やっと時代に、思わぬ形で通じたわけだ。

会場で仕入れた、彼の唯一の作品本を眺めながら迎えた1997年春、思いもよらない札幌市から、サッポロコレクションのリニュアル仕事が舞込んだ。それは時間も予算もなく、過去のしがらみだけがある難易度5つ星の仕事。当然、ヤリガイ満点で臨んだ出鼻、僕は偶然の勘違いで、大変失礼な話、人違いからデビューしたてのITL(インテンショナリーズ)鄭秀和と出合ってしまった。しかし、その彼が僕に自己紹介しだしたグラフィカルな建築世界こそ、待望していたニールな表現とは運命の悪戯。たちどころに意気投合して、僕はコレクションの空間を彼に任せた。そして、その出会い頭の勢いは、彼の仕事仲間、サイレンスファンデーションの音楽アーティストでもあるグラフィックデザイナー下田法晴に、コレクションのオリジナルCDデザインを担当してもらうことにつながるのだが。何と下田君こそ、写真の「インタラプテッド・プロジェクションズ」を装丁、編集デザインしたデザイナーだったとは。類は類を呼び。奇遇は巡り巡り。ご縁の連鎖は大団円。お陰さまで、コレクションは記憶に残る革命的出来栄えだったそうな。

早いものであれから12年。今ご覧頂いているブログのテンプレートも言わば、ニールの記号。そして51歳になったペーパーアーキテクト、ニール実建築がNYで話題となっている。

2009-02-05

東京エスニック料理読本


人生の一瞬にしかない若い力。その直前の時代には無い、その直前の世代には出来ない、角度、深度、感度。社会に頭角を現す未来を予感させる鮮度に時代は揺さぶられる。そんなまぶしい時代のご来光を、僕は、建築でもインテリアデザインでもグラフィックデザインでも、もう20年以上拝んではいない。唯一、頭と魂を酷使したアートの確信犯、100年後にも燦然と残りうる村上隆を除いては、たとえそれが時代の旬であったとしても、みなぎる健全な野心、若輩力のまばゆい鮮度を、ITLのデビュー、タイクーンのデビューを最後に。

僕はいつも思う。我々は100年前に建造されたNYの摩天楼の写真集を買って見たり。コルビジェやライトの作品集を眺めたりしては、スゴイと感嘆する。その我々は世界一建築物であふれる東京で、日々建築を作り続けているけれど、いったい100年後の人たちにとって、100年前のこの建築はスゴイと感嘆してもらえる歴史的建造物を創造しているのだろうかと。事は建築の大小、カタチとしての存在ではない。日々進化するコンピューターを駆使し、たくさんの世界情報を瞬時に容易に仕入れられて、超高学歴とたくさんの世界体験を持つ我々は、いったい毎日、何を慌しくして建築・デザインしているのだろう。僕はいつも嘆く。グラフィック、ファッション、写真、音楽、小説、演劇、映画、アート、100年前なら、そんな職に付く人は稀だった。しかしこの20年、コンピューターとインターネットを空気のように手にした自由社会。右も左も、みながクラブDJで、グラフィックデザイナーで、フォトグラファーで、ファッションデザイナー。みーんなミュージシャンで、ブログ作家で、料理研究家で、建築家で、インテリアデザイナーだ。みーんながアーティストの時代。雑誌もネットもアートな情報が垂れ流される。アートって、アーティストって、そんな誰でもお手軽お気軽楽チンな垂れ流されるものだった?選択の自由、挑戦のチャンス、その自由の拡大は大歓迎。しかし、アーティスとって?クリエーターって?何だっけ?100年後に君のアートは残ってる?旬の記憶としてでも。ただの自己満で地球悪な事してんじゃない?って心底、声高に檄を飛ばしたくなってしまうのだ。いてもたってもいられない突き動かされる命がけの真剣な遊び。恋の炎のようなアートを見たい知りたい感じたいのは僕だけだろうか。

東京エスニック料理読本 馬上精彦 冬樹社 1984初版。 この1冊から今日、我々がふつうに使うエスニックという言葉や、エスニック・フードの飲食店が東京に生まれた、無国籍&エスニック料理の起源。馬上精彦と玉村豊男の対談をはじめ、往時のカルチャータレントたちが結集してユニークかつクリエイティブな食の横断的創造がはじまった。

そして、どうしても記さなければならないのは、この著作を最後にフェイドアウトした伝説の「センチメンタルシティースタジオ」の事だ。伝説とは彼らの事を言うのだろう。検索しても断片しか出てこないのだから。それもレアな当時の暗号を入力してやっと。「センチメンタルシティースタジオ」。一言でいえば、インテリアデザインのYMO。日本のインテリアデザイン、今でいう、カフェバー、クラブ、エスニックレストランなど、飲食のインテリアデザインをエキサイティングなストリートカルチャーにした革命集団。そんなレアでコアな時代の旬の始まりは、LAからだった。1980年ぐらいではなかったろうか。創刊間もない雑誌「ブルータス」に、変形の縦長の広告が見開き左右に何ページにもわたって登場した。それはLAにオープンする今でいえばカフェ・バーなのか、「チャイナクラブ」というオリエンタルテイストのクラブ・レストラン。ネーミング、広告の出し方、インテリア、仕切りサービス、とにかく全てが新鮮でクールだった。新鮮という言葉がまだ鮮烈に衝撃的に効いた時代。後に空間プロデューサーとなるシーユー・チェンと、安倍讃平らによって企てられた「チャイナクラブ」は、毎日がレッドカーペット。 世界のカルチャーセレブリティーたちのスノビッシュな社交場の幕開けだった。そのオープニングに集まったアーティストたちの名を挙げれば書ききれないほどの。その勢いのまま80年代は、彼らの手によって、「東風」(トンフー)六本木を皮切りに、馬上、和田、楠木氏らが加わり、遊ぶ空間を演出するインテリアデザインのYMOたちが駆け抜けた。日本のオリエンタルなエスニックフードはここから始まった「クーリーズ・クリーク」(霞町)。歩道にぽつんと地下鉄の出入り口のようなキャノピーがあるだけで、唯一の目印は小さなタクシーの行灯に印されたロゴ。地下に下りればそこはクラブの起源「タクシーレーン」(高木町)。映画のスクリーンをインテリアに取り入れた、フランス系植民地にありそうなコロニアルテイストの将校クラブを彷彿させる「シネマクラブ」(神宮前)。映画館の椅子、手術台、手術用照明器具、全てが用途の違う場所から来たモノたちで再構成された小さなディスコ「クライマックス」(高木町)。今日、世界を回るスシ。その世界から見た寿司をインテリアした、和を洋に仕立てた傑作「スシバー彩」(渋谷)。グリーン系のテラゾーの床に、当時ファッションで大流行したストーンウォッシュを革に応用し、その傷めた革を座に使いコルビジェの代表作LC7をパロディしちゃうエスプリ。しかも本来、銀光るクロームを渋い塗装にして、さらにバーカウンター用に足長まで作ってしまった。クールバーの始まり「バー・スワミー」(代官山)。矢継ぎ早に登場したそれらは、当時の最前線にいたコピーライター、カメラマン、アートディレクター、スタイリスト、ファッションデザイナーなどなど、業界人たちがナイトクルージングする店々の数々。まだみんなアーティストになっちゃう学芸会社会の以前は、明らかに一線を隔した、若さと才能がみなぎる人たちだけが遊べた空間だった。隠れ家という言葉が存在できた一瞬だった。「センチメンタルシティースタジオ」は、その時期に居合わせた一握りの才能たちだけが知る幻の東京ナイトクルージングスポットを記憶に残して、70年代後半から80年代初頭までのわずか数年間の活動で解散していった。

その後は、リーダー馬上精彦氏はクールから身を引き大島に渡りエコ時代を先駆ける。現在はストローペイルハウスの日本版、「藁の家」の建築家。安倍讃平氏は、西麻布で東京アートシーンを燃焼させる「バー・アムリタ」を営み。元々国際派だったシー・ユー・チェン氏は創造的商業をコンサルティングするCIAを1980年に立ち上げ、最近の著書「インプレサリオ」で、その発展的健在振りを見せてくれた。

幸いにも、彼ら一回り以上も先輩達の一旬を遊ばせてもらえた僕は、センチメンタルシティースタジオの馬上、和田、楠木氏らの協力を得て、27才の1983年、初めてのインテリアデザインでデビューした。もはや幻で伝説の「スシバー・レットポーギー」1983年 札幌。旬間の鮮度は永遠に記憶に輝く。

2009-02-04

SEX EVERY DAY IN EVERY WAY


先週、やっと2009年の手帳を買った。ちょうどタロ(愛犬)を新宿のペットショップにグルーミングに出して、一旦帰宅するまでに時間が空いたので道すがら伊勢丹メンズを寄り道しつつ、DUGでお茶。梱包材を仕入れに帰り道のハンズへ行くと、もう5年も使用している高橋書店の手帳があったー!ので購入。これで仕事始めな気分、やっと2009年が始まった。東京に都落ちして以来、車を使わない日常なので、どこへ行くにもほとんど手ぶら。なので、昔に返って、手帳も薄く片手に乗る高橋書店製(たしか800円ぐらい)がお気に入りだ。ただし、こだわりが3つ。見開きで1週間である事。週末らしく最後に土日が来る事。つまり月曜始まり。それと、カバーがスカイブルー。ティファニーブルーって感じネ。で、写真のSEX EVERY DAY IN EVERY WAY POSITION OF THE DAY nerve社製で約1000円)はデスク用。これは本来「オクリモンのオクリモノ」ネタなんだけど、"OKADABOOKS OLD NEWス" というカテゴリーなので、紹介しちゃいましょう。大きさはちょうど15センチ四方で、デスクでも邪魔にならないサイズ。それにコイル閉じなので、開いてもフラットで手間いらず。当然、見開きで1週間月曜から始まり、土日がおけつ。写真小のとおり、1ページ4コマで、大安・仏滅などの歴表示や満月・新月などの月表示が付いているカレンダーのように、線画のイラストで365日分の体位が載っててけっこう可愛いのです。それに、ふっと彼女の事を想い出しちゃうし。これがまた◎。本当はコンパクトなのでお外用に持ち歩きたいくらいなんだけれど。さすがにビジネスシーンで、初対面の女子が同席した場合、誤解と失礼を生じかねないのでデスク用に収まってはいますが、これ女子が堂々と使ってたらイケテルと思うなぁー。仕事道具満載の真っ赤なギャルソンのボストンとかに。慌しく走り回っているから閉じてないバックからのぞいてるなんてネ。

手帳といえば、独立間もない80年代初頭、ファイロファックスが輸入され始めてからは6つ穴ばかり。その後、デスクは6つ穴。お外はティファニーのちょっとチャコールっぽい黒革手帳。これは薄く片手仕様&品までよろしい。グッチとは30年来の付き合いだっただけに、トムフォードの新生グッチには何の魅力もなかったけれど、90年代に入って、新生グッチのラインに昔懐かしい復刻というわけではないのだろうがピッグスキンラインが出たので、久しぶりに6穴を購入。ピッグスキンのグッチらしい名刺入れだけは、23才の時から、もう5代6代と代を変えて使い続けていただけに、こいつは◎だった。その6つ穴は、ちょうど一昨年、彼女に譲るまで15年以上は使用して、いいあめ色に仕上がった。やっぱりグッチは仕上げの良い豚皮でしょう。グッチの豚皮、ティファニーの黒革、いずれもブランド名が見えないほど小さくエンボスしてるだけなところがよろしい稀物っす。で今は、セックス&タカハシ書店さ。

SEX EVERY DAY IN EVERY WAY POSITION OF THE DAY 
( by nerve about $9.00 )

2009-02-03

犬と鬼


ミック・ジャガーのお隣に住む画家で同年の友人ダン・シュレシンジャーは、週末ともなれば自ら日本蕎麦を打ち、妻子にふるまうほどの大の知日・親日・愛日派。いや日本オタクと言ったほうがいい。そもそも彼は生粋のニューヨーカーなのだが、縁あって15才の時、交換留学生として1年住んだところが京都の町屋。見る聞く食べる、万事がカルチャーショックだったらしく、帰国後、イェール大に進学したものの行き先は日本学。そんな彼を、一躍有名にしたのが、これまた日本好きが高じた運命的出会いで、「ハリーポッター」日本語版の表紙画家となってしまったことだ。ついでに付け加えると、イェールで専攻した日本学じゃ食えないと、法律を学びにハーバード、それじゃ不足と、法律を扱きにオックスフォード、晴れて弁護士となって、とうとう日本の法律事務所に来ちゃうってほどの日本の追っかけ。その追っかけも実はプロはだ?というのも、イェール時代はマラソンランナー。未だ破られていない大学記録を持つオリンピック強化選手だったのだ。しかもオリンピックへ向けた強化トレーニングで、何度も来日しているというから、日本とは切っても切れない呆れるほどの深~いご縁。僕は、そんな彼の日本における画家活動のPR、広報をプロモーションしていたんであります。

そんな折の2003年。ダンが小布施町というところで、日本に住んでもう長いイェール大、日本学の先輩、アレックス・カー氏の講演があるので、ぜひ行きたいと言い出した。何処そこ?誰それ?だった僕は調べてびっくり。遅れてましたー。知りませんでしたー。長野の小布施町は由緒由来ある造り酒屋「桝一」が、つとに有名。その桝一と小布施町を、もっと有名にした有名人が米嬢セーラ・マリ・カミングス。彼女は長野オリンピック時に来日して以来、日本の古来文化に魅せられて、当の地元町民さえ失ってしまった伝統文化の再認識を鼓舞し、リードし、小布施のPR、町興しに大成功。2002年には、その功績が称えられ、日経ウーマン誌の「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」大賞を受賞している。現在は、桝一市村酒造取締役を勤める傍ら、小布施で毎月1回、ゾロ目の日に催される文化活動「小布施ッション」を主宰。こちらも、半端じゃない日本オタクのツワモノ。しかも実績がスゴイ凄腕。よし!行こう!行こう!と、行きました。アレックス・カー講演の「小布施ッション」。セーラさんの紹介を受けて、カー氏とも苦笑・談笑・激笑。日本の真価と日本の悲劇、日本の現状を熱く語る語る。そして驚きましたー。ダンセーラカーさんたち、イェールだハーバードだプリンストンだと、超高学歴の方々の筋金入りの日本愛ぶりに。当然、カー氏は、写真の著書を出したばかり。前作「美しき日本の残像」の続編、完結編が激辛口の「犬と鬼」。原書はすでにアメリカで「Dogs and Demons / Tales from the Dark Side of Japan」というタイトルで出版され、ニューヨークタイムス紙等で大絶賛。日本美の正確な紹介と賛美、その美を放擲した戦後64年の日本人と制度、教育の批判。そのストレートな辛らつさがアメリカで火が付き、遅まきながら講談社から日本版が出されたといういきさつ。戦後64年の家庭教育、学校教育、社会教育で、見て見ぬ振りしてきた日本論。老いも若きも、自国を侮辱、自虐する体質。そんな日本の美点と汚点を、オカダ節@大声よりも、カー@激辛口の方が上手かも っと感嘆すること必至です!カー氏は誰よりも日本ラブである事を知らされます。「文化と自然の破壊」のくだりは教科書に使って欲しいと切に願う最強の応援歌。以下、「帯」のヘッドコピーは、ご参考まで。

美しい文化遺産。美しい国土。
すぐれた教育制度。
世界一の個人貯蓄。
それらがありながら、
なぜ日本は道を踏み外すのか?
「美しき日本の残像」
新潮学芸賞の著者による
衝撃的日本論!

ご興味ある方は、ぜひ、ご一読を。辛いです。耳が痛いです。義務も責任も払わず、言いたい放題、やりたい放題、戦後の平和ボケお馬鹿キャラ蔓延の日本人には。犬と鬼 知らざる日本の肖像 講談社 2625円。 アレックス・カー略歴:1952年アメリカ生まれ。東洋文化研究家。12歳の時、海軍の弁護士だった父に連れられ初来日。横浜に2年間住んだ後に帰国。イェール大学で日本学を専攻する。19歳のときヒッチハイクで日本一周の旅を敢行。その時出会った徳島県祖谷(いや)の茅葺き屋根の家 に魅かれ、慶應義塾大学に通いながら、古い家屋を修復する。『美しき日本の残像』(朝日文庫)で新潮学芸賞受賞。『犬と鬼』で、現代日本の暗部を暴く(講談社)。現在、京都の町屋リノベーションをはじめ、テレビ出演、講演活動、Chiiori での日本文化啓蒙活動継続中。

2009-02-02

FUTUREFARMERS


インターネット時代の路上デビューは意外にも遅く1995年だった。手始めは「窓」からの若葉マーク運転。もちろんコンピューターとは仕事柄、商品分類や、建築図面の制作にCAD、デザイン・印刷と、縁はあったけれど、自前のPCが、やっとインターネットで繋がったWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)の世界をサーフして絶句。なるほどIT革命の革命が何たるかを思い知らされた。かつて、昭和30年代の小学生が「子供の科学」を読みふけり、半田ごて片手に手作りして鳴らした真空管ラジオみたいな、心もとないプラスチック箱のオモチャのような画面の先に、まだ高速道路整備 以前だから、電話回線のデコボコ砂利道をのろのろ運転で、たどり着いたサイバーワールド。そこは、あらゆる価値が等価・等列でブラウン運動してる人類の理想郷。人類誕生から400万年かけて手に入れた万人平等の自由世界。資本主義であれ、歴史的大失敗に終わった共産主義であれ、究極の求めた先の選択の自由の無限大。道路(インターネット)と車(PC)さえあれば、人種、国籍、性差、年齢、学歴、教養、生まれ素性、宗教・文化、もう老若男女を問わず、対等で対価な世界。地球上のいかなる所にいても、たった一人でも世界とつながり、世界を変えられる、最もローコストでハイバリューな文明の利器登場に歓喜・驚喜・乱舞!っとととっつと、前説ですぐ社会学しちゃいそうなので本題本題!

トップの写真はサンフランシスコ在住の「フューチャーファーマーズ」を主宰するエイミー・フランチェスチーニから送られてきた1995年~2002年までの活動をまとめた作品集「Harvest Time」。そのエイミーとの出会いは、遅れをとったネット若葉マーク時分のもちろんネット。世界中からネットワールドに作品公開しだしたデジタルクリエーターたちのサイトを、もう寝食忘れて夢中になって旅していたころ、道草するけどNTTの電話代が月100万ぐらいの請求で仰天したってくらい遅れをとっていた日本なんですが、リンクリンクリンクの果てに彼女のサイトへ。時まだIT先進国アメリカにしてウェブデザインの黎明期、彼女はまさにネットの申し子だった。

カルフォルニアのアーモンド畑の一人娘エイミーは、写真家を目指してUCLAに入学直後、たまたま大学のドミトリーで遊び半分に自分のHPを作り始めたところ、スウォッチ社から電話が。その2日後には来米したスウォッチの広告担当者2名、彼女のドミトリーに来るや、その場でスウォッチ社のウェブデザインを依頼。渡された小切手は50万ドル。その日以来、あれよあれよで、ナイキ社シャネルビートルズ公式サイト、スターウォーズ公式サイトと、世界の名だたる企業から依頼の山。そもそも彼女はウェブデザインがしたかったわけじゃないのに、瞬く間にミリオネアだ。ネットを通じて入ってきた大金とネット通じて知り合ったウェブ作りの技術者、音楽製作者、映像作家、などの仲間たちを抱えて、実作品を創るインタラクティブ・クリエーターのファーム「フューチャーファーマーズ」を立ち上げたのが1995年。とはいえ、その時すでに世界中のカンファレンスからお呼びがかかり、デジタルボヘミアンの先駆けとして、「林檎」をリュックに背負い世界中で講演の旅回り。実作品も早々にサンフランシスコ市立美術館で収蔵、展覧されるメディアアーティストになっていた。その後は、戦争反対ゲーム「ANTIWAR GAME」を皮切りに、パワーエリートたちのネットワークを暴露する「They Rule」プロジェクトを開始。さらに2000年以降は、自前のAIR(アーティスト・イン・レジデンス)に集う世界のクリエータたちを巻き込んで、グローバルとローカルをつなぎ自然環境を保護する様々なプロジェクトを遂行中。「世界を変えるにはマウスを押し続けるべし!」と、始めた地球温暖化防止プロジェクト「Solar Generation」や、シリコンバレーの自然環境をケアする「Gardeninng Superfund Site」、都市と自然のあり方を探求する「Free-Soil」、サンフランシスコに市民農園を増やす活動「Victory Garden」、このプロジェクトでは、エイミー・デザインの作業服&スターターキットが商品としても作品としてもブレーク。サンフランシスコMoMaに、いち早く展示展覧された。そもそもインタラクティブメディアのフロントランナーとしてスタートしたエイミーも、今やその名の通り、環境問題の土臭いフューチャーファーマーズとしてトップランナーだ。想えば2000年、彼女に初来日してもらい芸術の森でウェディング・プロジェクトの制作を1ヶ月間、共にしたのが懐かしい貴重な友人。IT革命ってこれだからスゴイね!

Harvest Futurefarmers 1995-2002 amazon $45.00 
エイミー最新の写真はwit!さんよりお借りしたもの。

2009-02-01

乱歩と東京


僕はかねがね、「ヒッチコックはリアルなヘンタイ」、「江戸川乱歩はサイバーな変態」だと思っている。触る変態と触らない変態。生身の快楽と妄想の快楽と言ってもいい。ヒッチコックはブ男ゆえ、公然と "絶世の美女と戯れる" "男子羨望の的を操れる" 唯一の権力者、映画監督になった。と言いたいほど、監督と主演女優は美女と野獣の典型だ。しかも、愛嬌あるひょうきんな体型を隠れ蓑に使うとは、けっこう狡猾なヘンタイだったのだろうと。しかし、乱歩はその比ではない。当時としては考えられない禁断の言葉、タブーな文字の中に妄想する変質者。その淫猥の妖味を陰湿に嗅ぎ舐める変態ぶりは類を見ない。それは人の自然な性愛への興味を一線越えた、性愛への屈折した視線。小説に使われる事件の背景、動機には、妻の不貞、姦通、淫乱、スワッピング、覗き、盗撮、死姦、人肉嗜好、生体埋葬、奇形、などなど、エロとグロが交錯する。そもそも題名自体が、「仮面の舞踏者」「一人二役」「陰獣」「虫」「盲獣」「蜘蛛男」「一寸法師」などなどと、読者の妄想を勃起させる、まるでポルノ。しかも、その変質者ぶりは、代表作「人間椅子」の息を潜めた見えない痴漢だ。匂い、舌触り、指の触覚、温もる体感、布一枚を境にした間接的性感に恍惚する快楽。大正時代の日本家屋と街の中で疼く、乱歩のゆがんだ性愛の快楽嗜好が、読者の秘められた淫猥をにじみわき出させる。密かに覗き見たい小説の中の恥部と、読者が秘めた淫猥な恥部を往還させて、交歓させあう高等な仕立てのポルノ小説。明智小五郎と小林少年の表二枚看板の裏で、真の乱歩が蠢いている猟奇の推理小説。と言ったら言い過ぎだろうか?

「乱歩と東京」 松山巌 Parco出版 1984年初版。 松山巌は、さすが建築家。いつも、建築的スケープから万象のディティールを観察し評論する達人だ。だから「乱歩と東京」は、見事にはまり役。1920年代の東京という街の成り立ちと、乱歩作品が夢想されていく思考過程を、小説の舞台となった町並みを今昔させながら、精緻なトレースで解読していく。乱歩目線から見た新鮮な東京論で、町並みから追った斬新な乱歩論。発刊の翌年(1985)、 第33回 日本推理作家協会賞受賞は大納得。映画「K-20 怪人二十面相・伝」も公開中な事だし、ご興味ある方は、図書館もしくは、古本市場へGOGOGO!すでに絶版なようなので。
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