2009-02-19

ボーイズライフ


"少年のような心をもった大人" "大人の少年"なんて中・高年男子の魅力を表したりするが、昨年末、"大きな少年"をキャッチフレーズに雑誌「ポパイ」が創刊当時の世代を中心に、今の30~50代男子へ向けた"親父のポパイ"「Oily Popeye」を創刊した。ここ10~15年来、「GQジャパン」「Esquireジャパン」などの舶来系に、国産系では真っ当コンサバ「BRIO」、2001年創刊以来の"ちょい不良(ワル)オヤジ"が大流行で、とうとう2005年には"ちょいモテオヤジ"が流行語ベスト10入賞までしちゃった、ちょっとウォーター&バブリーな「LEON」と、威勢が良かった男ジャンル、まだ続編があったのか?ちなみに"Oily"って、車好きでならした白洲次郎のあだ名"Oily Boy"が由来とか。ここんとこの彼人気も、ちょいワルオヤジも、再結成バンドみたい「親父のポパイ」も、ジャスト当事者世代の僕には何だかなぁー、イマイチ、しっくりこないんだけど。

懐かしいなぁーと、ひと息、回顧を悦楽できるノスタルジーって気分は、成長期に養われる心の栄養なくして醸造されないのではないだろうか。その養分とは、一緒に育っていく同級生のような、物との出会いや、事との遭遇によって育まれるように思えてならない。雪融けが進む春、日当たりの良いところどころに、ふかふかの土があらわれて草花が芽吹くころ、カエルやサンショウオの卵を捕ってきては、その成長を観察したり。深緑にむせ返る真夏の野原や森で、キリギリスやクワガタを採ってきては、飼ってみたり。子供の自分より大きな飼い犬と戯れて友達のように一緒に午睡したり。やがて、自分の方が、その犬より大きくなっていったり。日々成長していく生き物とのふれあい、一緒に成長していく同時体験。洗濯機、冷蔵庫、炊飯器、扇風機が、ひとつひとつ生活に加わって、部屋の配置が変り、暮らしが便利になっていく。行動範囲を別世界に広げる自動車までがマイホームにマイカーとして登場する。白黒テレビがカラーテレビに、蓄音機がステレオに、ステレオがテープレコーダーに、大きなリールのテープレコーダーがカセットテープに、そいつがウォークマンに化けて音楽と一緒に走る。大きなLPレコードがCD(コンパクトディスク)に、それがとうとうMP3のiPOD。ビデオがLDに、そしてDVDに、さらにブルーレイ。写真館で撮った写真も、フィルムのカメラで自前の写真に、それがその場で見れるデジカメに、携帯カメラにと、今やいつでもどこでもだれでもカメラマンに。固定電話が生活にインテリアに入ってきて、やがて自動車電話、そして携帯電話、ファックスが登場して、インターネットにPCがあたり前のインフラになって、そのすべてが薄っぺらなアイフォーンとしてポッケにある時代へ。真空管がトランジスターに、そのトランジスターがIC(集積回路)に、CPU(中央処理装置)に、ブラウン管は液晶画面に、すべては軽量コンパクト、高画質、高音質、高品質化する技術の成長、文明生活の成長と一緒になって大人になっていった同時体験。すらりとした手足が無骨に、つるんとした肌がヒゲ面に、カン高い声が野太い声に、少年から青年に、心も身も劇的に変化する男の一生の最初で最後の節目に、そんな動植物の成長と生き死にを学び、生活環境を激変させていく文明機器の誕生と進化に、成長を、自分の背丈の変化、成長期と重なって共に育った体験。この同時成長体験が幸いにも今の僕を生んでいる。

「ボーイズライフ」小学館 1963年(昭和38年)創刊~1969年(昭和44年)廃刊。東京オリンピックの前夜1963年(昭和38年)当時、男の雑誌といえば「こどもの漫画本」と「オヤジの週刊誌」しかなかった。そんな時代にあって、この少年雑誌は2つの点で画期的な出版物だった。大正11年(1922年)「小学5年生」「小学6年生」という学年別学習雑誌の創刊から始まり「幼稚園」「めばえ」までラインを揃えていった小学館が「まんが本」ではない、いわば少年期のライフスタイル誌のような新しいジャンルを狙ったことだ。音楽、ファッション、映画、風刺コミック、自動車、そしてちょっと女子、と広告、それまでどこにもなかった内容だ。それはたぶん、その背景に戦後18年、高度経済成長爆走中の日本で、いわゆる戦後生まれ団塊の世代がちょうど18歳、高校3年生~大学1年生ごろに差し掛かっていたわけで、この新時代の巨大市場を狙ったことだ。ふたつ目は、小学館の読み違い、誤算の思わぬ結果が少数世代に60'sカルチャーを鮮烈に記憶させたことだ。というのも、もし、このビックマーケットにジャストミートした編集コンテンツを提供できていれば、わずか5年弱で廃刊とはならなかっただろうからだが、このターゲットと目されたアンダー20の最大公約数は当時、世界的に猛威を振るっていた学生運動の渦中で、「ボーイズライフ」が垣間見せてくれた画期的なカルチャー&ライフスタイルこそ本来、彼らのキャンパスライフにぴったりのはずにもかかわらず、渦中の彼らには、逆なでする日和見主義的コンテンツそのもので、大げさに言えば糾弾に値するほど逆行したものに写ったのだろうと思われる。その証左に、今もってこの「ボーイズライフ」を幻の少年雑誌と感じている世代が別に存在している事だ。実はジャストミートしたのは団塊の世代の10年後輩。昭和30年(1955年)生まれ以降の人口統計では一番少ないボトルネックの世代だったのだ。その後輩世代は当時、小学校高学年から中学校低学年で彼らにとっては、長髪にベルボトムジーンズ、ヒッピーにラブ&ピース、サイケデリックにフラワーチルドレン、フォークソングにウッドストック、バイオレンスにエログロナンセンスなどはリアリティーのない単なる時代の流行のおしゃれなキーワードにすぎなかった。だから"007"に代表されるハリウ ッド映画、 VANのアイビールック、自動車レースの世界、ガールフレンドとレコードショップ で視聴するデートシーン、リーガルのペニーローファーの広告など、すべてが初めて見る おませに背伸びしたくなる世界の話題で、これに先輩世代が生んだ時代のキーワードは 一体化されて、その全てがカッコイイものであったのだろうと僕自身が、その当事者世代 として今にしてみれば思うのだ。

その世代も大学2年生の1976年、"Magazine for City Boys" というサブタイトルの『ポパイ』が創刊された。あの「ボーイズライフ」との衝撃的出会いは、まさに当時としてはこの「ポパイ」そのものだったのだろう。マガジンハウスの「ポパイ」は、昭和30年(1955年)世代以降にとってキャンパスライフのマストアイテム、バイブルと化していく。渋谷の場末の百軒店に2坪の"SHIPS"が生まれ、原宿の小さな複合テナントビルの奥にわずか3坪でデビューした"BEAMS"が後を追う。先行している団塊の世代のデザイナーズブランドとは明らかに違うテイストのライフスタイルの幕開けだ。背伸びした少年をわくわくさせた「ボーイズライフ」。青年期にサブタイトルどおりマッチした「ポパイ」。ともにもう戻れない我が記憶の「宝」。

大人になると時間が早く感じる。あっという間に1年が過ぎていく。それは、子供のころ感じたことの無いスピードだ。なぜなら、子供は「一瞬の永遠」に生きているから時間を意識しない。メモリー「思い出」とは、常に今の自分を作った、かけがいのないモーメント「一瞬の永遠」だ。だからいつも昨日の出来事のように鮮やかに再生される。時間のドキュメント「記録」はセピアになっても、思い出は、いつもブルーレイ。命と引き換えにした永遠に輝く生きた証。だから、ボクの時間を消し去り、無邪気な少年に戻しててくれたリブとの思い出は永遠に今に生きつづける。

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