インターネット時代の路上デビューは意外にも遅く1995年だった。手始めは「窓」からの若葉マーク運転。もちろんコンピューターとは仕事柄、商品分類や、建築図面の制作にCAD、デザイン・印刷と、縁はあったけれど、自前のPCが、やっとインターネットで繋がったWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)の世界をサーフして絶句。なるほどIT革命の革命が何たるかを思い知らされた。かつて、昭和30年代の小学生が「子供の科学」を読みふけり、半田ごて片手に手作りして鳴らした真空管ラジオみたいな、心もとないプラスチック箱のオモチャのような画面の先に、まだ高速道路整備 以前だから、電話回線のデコボコ砂利道をのろのろ運転で、たどり着いたサイバーワールド。そこは、あらゆる価値が等価・等列でブラウン運動してる人類の理想郷。人類誕生から400万年かけて手に入れた万人平等の自由世界。資本主義であれ、歴史的大失敗に終わった共産主義であれ、究極の求めた先の選択の自由の無限大。道路(インターネット)と車(PC)さえあれば、人種、国籍、性差、年齢、学歴、教養、生まれ素性、宗教・文化、もう老若男女を問わず、対等で対価な世界。地球上のいかなる所にいても、たった一人でも世界とつながり、世界を変えられる、最もローコストでハイバリューな文明の利器登場に歓喜・驚喜・乱舞!っとととっつと、前説ですぐ社会学しちゃいそうなので本題本題!
トップの写真はサンフランシスコ在住の「フューチャーファーマーズ」を主宰するエイミー・フランチェスチーニから送られてきた1995年~2002年までの活動をまとめた作品集「Harvest Time」。そのエイミーとの出会いは、遅れをとったネット若葉マーク時分のもちろんネット。世界中からネットワールドに作品公開しだしたデジタルクリエーターたちのサイトを、もう寝食忘れて夢中になって旅していたころ、道草するけどNTTの電話代が月100万ぐらいの請求で仰天したってくらい遅れをとっていた日本なんですが、リンクリンクリンクの果てに彼女のサイトへ。時まだIT先進国アメリカにしてウェブデザインの黎明期、彼女はまさにネットの申し子だった。
カルフォルニアのアーモンド畑の一人娘エイミーは、写真家を目指してUCLAに入学直後、たまたま大学のドミトリーで遊び半分に自分のHPを作り始めたところ、スウォッチ社から電話が。その2日後には来米したスウォッチの広告担当者2名、彼女のドミトリーに来るや、その場でスウォッチ社のウェブデザインを依頼。渡された小切手は50万ドル。その日以来、あれよあれよで、ナイキ社、シャネル、ビートルズ公式サイト、スターウォーズ公式サイトと、世界の名だたる企業から依頼の山。そもそも彼女はウェブデザインがしたかったわけじゃないのに、瞬く間にミリオネアだ。ネットを通じて入ってきた大金とネット通じて知り合ったウェブ作りの技術者、音楽製作者、映像作家、などの仲間たちを抱えて、実作品を創るインタラクティブ・クリエーターのファーム「フューチャーファーマーズ」を立ち上げたのが1995年。とはいえ、その時すでに世界中のカンファレンスからお呼びがかかり、デジタルボヘミアンの先駆けとして、「林檎」をリュックに背負い世界中で講演の旅回り。実作品も早々にサンフランシスコ市立美術館で収蔵、展覧されるメディアアーティストになっていた。その後は、戦争反対ゲーム「ANTIWAR GAME」を皮切りに、パワーエリートたちのネットワークを暴露する「They Rule」プロジェクトを開始。さらに2000年以降は、自前のAIR(アーティスト・イン・レジデンス)に集う世界のクリエータたちを巻き込んで、グローバルとローカルをつなぎ自然環境を保護する様々なプロジェクトを遂行中。「世界を変えるにはマウスを押し続けるべし!」と、始めた地球温暖化防止プロジェクト「Solar Generation」や、シリコンバレーの自然環境をケアする「Gardeninng Superfund Site」、都市と自然のあり方を探求する「Free-Soil」、サンフランシスコに市民農園を増やす活動「Victory Garden」、このプロジェクトでは、エイミー・デザインの作業服&スターターキットが商品としても作品としてもブレーク。サンフランシスコMoMaに、いち早く展示展覧された。そもそもインタラクティブメディアのフロントランナーとしてスタートしたエイミーも、今やその名の通り、環境問題の土臭いフューチャーファーマーズとしてトップランナーだ。想えば2000年、彼女に初来日してもらい芸術の森でウェディング・プロジェクトの制作を1ヶ月間、共にしたのが懐かしい貴重な友人。IT革命ってこれだからスゴイね!
■
■
0 件のコメント:
コメントを投稿