2009-01-31

和食のいただき方


「和食のいただき方」 塩月弥栄子 480円 新潮文庫 1983初版。すでに記憶の中とはいえ、5トントラック2台分の「オカダ文庫」の中で、人さまから頂戴した本は2冊。1冊は高校の合格祝いに、父親の後輩氏から頂いた「オックスフォード英英辞典」。もう1冊が、写真の 「和食のいただき方」。こちらは、マイ・ファースト・ワイフさまからの贈り物。先輩カップルのはからいで集ったランチ会で知り合い、のっけから、幼なじみのような何のストレスもない仲良し組は自然と円満寿。ディグレースやフィオルッチに古着テイストさんは、ドックグルーマーの資格を持つおしゃれさん。ところが付き合って行くうちに、裏千家と草月流では、とても名士な社中のお嬢様(っていわゆるコンサバイメージはまるでない)だった。着物、お茶事、生け花はプロさん。そんな手前、和食をいただく時の嗜みにと、何気にくれた文庫本なのですが、いやお見事。何事、真髄はシンプル。箸の使い方、魚の骨の始末、水菓子(メロンの食べ終え方)、とうとう、ひと目でわかる基本の所作。これ一冊で一生、ノーブルな振る舞い優雅な食事をいただけます。考えてみれば、この世は無駄な書籍が多すぎる。何事、一芸に通じる一冊で事足りるのですよ。問題はその一冊の見極め。真贋 すな。 ◆お若い女子への贈り物に好適の1冊。

2009-01-30

THE RED BAND


1970年代は、その前半と後半では、180度ちがう別世界。前半までは激化する思想の衝突。後半からは飛躍する女性の時代。1960年に始まったベトナム戦争。米ソが宇宙開発まで繰り広げて戦った、共産主義VS資本主義の冷戦は、1975年、サイゴンの陥落によって、またひとつ、選挙の当選をしるす薔薇のように、地球を赤色に染めた。しかしここから、地上戦で大敗し、宇宙戦で圧勝したアメリカとソ連とのパワー・オブ・バランスが不均衡にも保たれる。以後、世界中に吹き荒れたスチューデントパワー、とりわけ、先鋭化していった日本の大学紛争も、東大安田講事件を境に収束していった。60年代のフラワーチルドレン「ヒッピー」から、やがて来る80年代の「ヤッピー」へ様変わる継ぎ目。かっこいいが、「シングル」から「ダブルインカム・ノーキッズ」の時代へシフトする始まり。70年代後半は、まだ、声高に女性解放が叫ばれた時代の節目だった。その震源地ニューヨークから「翔んでる女」「女の時代」「自立する女」「働く女性」「シングルウーマン」なんて言葉が飛び交い始め、彼女たちのNYファッションが威勢よく世界に発信された。"Sex and The City"の起源、ここにありか。でもそこは、まだ、ゲバルトにエロ・グロ・ナンセンスと、60年代が壊した禁断の「タブー」が立ちこめて、 デビューするすべてが鮮烈な挑み。そんな時代のこけら落しは、NYのファッション業界を舞台に、禁断のテーマ「レイプ/強姦」と、その裁判過程を扱った衝撃の問題作「リップスティック」1976、から封切られる。映画は、へミングウェイの孫娘マーゴ・ヘミングウェイと姉のマリエル・へミングウェイの起用もあいまって、スキャンダラスな話題が時代の気分を増幅。続く「アニーホール」1977、「グッバイ・ガール」1977、「ミスター・グッドバーを探して」 1977、「結婚しない女」 1978、と、映画のタイトルは、ことごとく時代の流行語として女性誌を飾り、「サタデー・ナイトフィーバー」1977、「ビッグ・ウェンズデー」1978、が脇役飾る。「自立」の80年代への大晦日がレイト70'sだったのね。

91~2年だったか、ジャスパー・ジョーンズやウィーホール、ホックニー、ステラ、なんて本生をマジに扱うコンテンポラリーなギャラリーを主宰していた当時の彼女から「アレックス・カッツの珍しい立体がサザビーのオークションに出たよー」と、コレクションブックを渡された。カッツらしい女性の等身大の立体。たしか150万くらいだったか。この期を逸して、僕のカッツ物は "The Red Band"と、写真の画集が1冊。女性を描く、それも奥さんをたくさん描く画家が好きな僕のお気に入りだ。そもそも、アレックス・カッツの "The Red Band" (1978)との出会いは、1960年代の西海岸を舞台に、3人のロコサーファーたちが激しさを増すベトナム戦争に翻弄されていく伝説のサーフィン映画「ビック・ウェンズデー」1978、で一躍スターダムに上ったジャン・マイケル・ビンセントが起用された、サントリーの新時代ウイスキー「NEWS」のCMだった。それは、時代のキャッチフレーズとなった映画「結婚しない女」1978、のラストシーンを引用したもの。離婚を決意した主人公エリカ(ジル・クレイバーク)は、大きな絵を一枚を抱えてセントラルパークを見晴らす高層マンションを出る。自分も隠れてしまうほど大きな絵を抱えるエリカは、摩天楼のビル風にあおられよろめきながらも、一人マンハッタンを歩き始めた。「シングル」を強調し「自立」を象徴させる場面。その絵がシンボライズする「女の時代」を、カッツの"The Red Band"は引き受けていた。うまい時代の見せ方が記憶に残る、うなるCM。時ちょうど商業ビル「VIVRE」で建築デビューしたばかりの28歳。この仕事がきっかけで、僕は日本に初めて、ミース・ファン・デルローエやベルニーニ、ダンスクやカイボイセン、マリメッコなどを輸入紹介した高橋氏に見初められ、以後、全国でいくつか仕事のお供をさせていただいた。今はなき、帝国ホテルの「亜門茶廊」、青山の「10ROSES」、銀座の「砂糖人形」、赤坂の「シティ」、白井晟一仲條正義のレアな仕事の数々。当代きっての趣味人は、雑誌「太陽」にも御夫婦でちょくちょく登場される文化人。その高橋邸で、期せずして本物の"The Red Band"とめぐり合ったのだ。自室には、クロームが錆付いたオリジナルのバルセロナチェアに、ピカソもマチスも魯山人も、何気に散在。「洗練された雑然」をここで学ぶ。アレックス・カッツが見つけてくれたオカダシュミの原点そこにあり。

2009-01-29

ジャズより他に神はなし


入場のルールは、ただ1つ、クワイエット。ドアの向こうは、夜霧のように霞む煙草のけむり。ヤニで燻された重低い音のカンバスに、ソプラノサックスの絵筆が散らす気高い音のアドリブ。恐る恐る踏み込んだ、ほの暗い「ファンキー」で、僕は未知の音渦に飲み込まれて五里霧中。初めて入ったジャズ喫茶で、初めて聴いたジャズが、ジョン・コルトレーンマイ・フェバリット・シングスとは。無垢なド素人に異彩なド玄人の音の洗礼。スイングとトランスを体に刻む衝撃のジャズデビューだった。1971年、16歳の秋。伝説のジャズ喫茶、吉祥寺「FUNKY」。この日から大学2年の二十歳まで、革命とジャズと煙草のけむりが、僕を本格的に黄昏の闘争時代へトランスさせた。そんな高1の貪る荒い好奇心をさらに炊きつけたのが、写真の「ジャズよりほかに神はなし平岡正明 1971年初版。それは、開けてしまった新世界の手引書。学生運動の渦潮が沸き立つ世相を、ジャズという時代の音楽のアングルから、シャープにフォーカスして見せた驚きの解説書だった。


高校3年間をすごした吉祥寺をはなれて35年。東京に都落ちして5年がすぎた。そんな頃合の2007年晩秋、たまたま、EX ラスト・ラバー が舞台公演の仕事で吉祥寺に通うことになったのに便乗して、吉祥寺のホテルを予約した。近くにいながら、一度も近づいた事のない、あの頃。1泊2日のセブンティーンをなぞる旅だ。結果は、まるで「あの頃ペニー・レインと」みたいに微笑ましくアーカイブ。写真は、そんなタイミングに見つけた、平岡正明の最新刊 「昭和ジャズ喫茶伝説」。当時の師は、ご健在で活躍されていたご様子だ。ただ、「あの頃ペニー・レインと」のような鮮度あるOLD NEWではなかった。あらためて、そのまんま世代には、やはり頼れないってカンジっす。ならば、相倉久人の「機械仕掛けの玉手箱」(1975年)を探してみよっと。超離婚貧乏になるまで、後生大事に初版を抱えていたんだけどなぁー。5トントラック2台分の「オカダ文庫」にネ。◆そんなこんなの詳細は、「ゲバラの日記」と「青年は荒野をめざす」をご一読あれ。お奨めです。うざったいほど濃厚な70年代初頭を覗けますよー。オカダ節@大声(たっぷりに)。

2009-01-28

共産党宣言


イギリス産業革命は、大量生産による等しく豊かな社会の実現と同時に、富の極端な偏りを生じさせた。その、資本家と労働者の格差の是正と人類の積念だった等しい権利の確立を標榜し、1848年、マルクスエンゲルスは「共産党宣言」を掲げる。以来、1989年、ベルリンの壁が自然崩壊するまでの約150年、世界は、資本主義(自由主義)VS共産主義(社会主義)の攻防「東西の冷戦」をすごした。それは、オセロゲームのように、地球上の陸地を赤旗と赤い血しぶきで染め上げた不幸な人災期。かつて、ニーチェの「神は死んだ」。そして、冷戦の崩壊で「思想は死んだ」。万人の等しい幸福を願う「宗教」と「思想」は、いずれも掲げた理想とは裏腹に、本末転倒した独裁による自由の剥奪と統制、強要、その果ての絶対主義による殺戮にいたった。1968年「2001年宇宙の旅」が見せてくれた人の正体モノリスの正体だ。宗教は異論を異端として排除する。聖戦と称して自爆テロを煽り、宗教戦争を未だ3000年来続けている。幸い思想は150年の戦いにケリを着けたが。人って賢いけど馬鹿。いつも掲げた遠くを忘れて、目先の足元に囚われて自滅する。そこをわきまえられて賢人なんだろうけどね。

中1で出会った学生運動の嵐。ラジオの先に見えた世界の思潮。猛威をふるった革命の熱波。岩波文庫の黄ばんだ「共産党宣言」は、13歳の盲信したバイブルだったのだ。 その盲信ぶりは、高校進学ではドイツ語を選択させる。なぜなら、写真のとおり、マルクスとエンゲルスが最初に草稿した「共産党宣言」はドイツ語だから。さらに、早稲田と法政を行き来した大学では、いまや笑い話だが、入部したジャズ研で6年も留年中のトランペッター景山先輩の一言、『ロシア語で「共産党宣言」を読めなきゃよー』に、まんまとそそのかされてロシア語を選択。そのロシア語には、卒業をかけて、最後の最後まで追試で本当に苦労させられた。まぁー、原始モノリスのような僕は、この薄っぺらい1冊のお陰さまで愉快で有意義な、中、高、大のキャンパスライフを過ごさせていただいたわけだ。信ずるものは救われる。聖書ってそんなものなのね。

冷戦を生き残り、ひとり跋扈した金融資本主義も瓦解した今、「共産党宣言」の序文を「地球民宣言」と書き換え、すべての労働者を「すべての地球民」に変えて読み直すと、「新地球主義」時代の2009年以降が、さぁーっと見えてくるかもよ。薄っぺらい「共産党宣言」って、読んでみると文学的な表現で理想を奏でる未来詩の書き方だったのかもしれない。


2009-01-27

PRAVDA


プラウダ(PRAVDA)といえば、1912年創刊の旧ソ連共産党中央委員会の機関紙。日本で言えば赤旗。意味がスゴイよ《真理の意》。現在はロシア連邦の日刊紙として生きている。などと、真っ先に浮かぶ方は常識人? 昨年、亡くなった ギ・ぺラート との出会いは意外にもオクテだった。写真の「PRAVDA」が出版された1968年は、過去ブログにあるとおり「新英和大辞典」の季節。すっかり深夜放送でワセたアタマは《革命》に染まっていた中学1年。「プラウダ」と聞けば、即座に、ソ連の機関紙と答えただろう。不覚にもその後に知るコミックストリップの旗手が彼だったとは。しかし、ジェーン・フォンダがブレークし始めたころで、映画「バーバレラ」の洗礼だけは、しっかり受けた。当時のむくヤボ13歳には、時代のエロ・グロ・ナンセンスは刺激・過激・衝撃の妖味。性の目覚めをぶっちぎり、真の《革命》はここだったかも。2004年、表参道で開催されたセリーヌの「PRAVDA展」で、すっかり忘れていたコミックストリップの世界を思い出し、ポスターを入手するも借金の形に本と共に消えてしまう超離婚貧乏は笑うしか救われない。

写真の「PRAVDA」 Guy Peellaert 1968初版。 (写真は借り物にて失敬)
French Erotic Comic Book 「PRAVDA」 Guy Peellaert Paris 1968
Eric Losfeld Editeur Publishing

2009-01-24

PAN AMERICAN


逃がした魚は大きい。写真は2002年、ハワイ島はヒロ市の旧市街にあったハワイアンアンティークを扱う店のウィンドーを飾っていたB全サイズのポスター。大きいので通りがかりでも目に止まる。見つけてからややしばらくウィンドーの前で立ち尽くした。値段は3千ドル。店の奥にはもう少し小ぶりのアロハエアのポスターもあったが、この迫力にはかなわない。欲し~~~い。が、30万。うぅ~うぅ~うなりながら店を後にした。帰国して、ノーブルなアンティークのわが師匠、日本橋で27代もつづくその道の御曹司に聞いてみたところ「その品なら100万はするだろう」とのこと。うぁー 値段じゃないけど、逃した魚はやっぱりでかかった。マイ・ファニー・ラストラバーのようにネ。 そして何故かエアライン話は続くのです。うちの隣に可愛らしいビストロがあるのですが、その店のトイレに、こちらも見応え充分な1960年代ものと思われるJALのポスターが掛けられていて、用を足すたびに拝観する立ち位置。画力は写真のパンナムテイストで、富士と芸者を背にJALのスチュワーデスが微笑む図案が秀逸。JALずくしの話だが、これがまた奇遇なことにマンションのお隣さんがJALのフライトアテンダント嬢。彼女にそのトイレの60年ものスチュワーデスを鑑定してもらうと、「こんなの会社にもない」って珍品。ご興味ある方は、ぜひ、ビストロ・ダルテミスでお食事を。味もトイレも美味しゅうございます。

2009-01-23

HOLIDAY


「ホリデー」や「バケーション」ってサウンドには、憧れとか懐かしさが香っている。毎日毎日、生活が文化的になっていった50~60年代がかぶってくるのだ。洗濯機が、冷蔵庫が、テレビが、カラーテレビが、ステレオが、そしてマイカーが生活に加わっていった時代。大量生産時代の恩恵が、等しい豊かさに満ちていく時代。核家族の起因ともなった、文化住宅、マイホーム。テレビで見るアメリカのホームドラマのように、気分まで欧米化していった、そんな季節がワクワクとではなく、ゆるやかにおとずれたミッド昭和に、休日や休暇ではなく、ホリデーやバケーションは似合っていた。百貨店ではなく「デパート」というカタカナ言葉の響きの気分ネ。もちろん言葉の本家では、単に「休日」で「休暇」にすぎないのだろうけれど。

写真の米雑誌「ホリーデー」は20年前、学生時代からよく知るアンティークオタクの後輩君が独立開業した、フィフティーズの雑貨&家具をあつかう店先に20冊くらい積まれていた、その一番上にあった1冊。店はド級のオタク君らしく、いつも出所・由緒正しいグッド・コンディションの希有な逸品ばかり。ご覧のとおり、さすがグッド・チョイスの掘り出しモノ。誌面は、昔のアサヒグラフのような大判で、タイトルの響きと甘いイラストからは、あの憧れと懐かしが香り立っていた。しかも、ご本家サマのものだ。もう迷わず1冊買ってしまった。ほんとうは積まれた山ごと欲しかったが、あいにくかなり高価だったのでやむなし。しかし1冊とはいえ、本家は期待を裏切らなかった。カバーもチャーミングだけど、中の広告は見るに愉快。見開きや小さなコマ割りの広告には、エアライン、カーレンタル、トラベルエージェンシー、ホテル&インなどの宿泊施設、旅をテーマにしたジュエリーショップや旅行バッグなどなどで、あふれかえっていた。鉄道から飛行機の時代へ飛躍して、余暇が一大レジャー産業となった当時のアメリカが満載だ。そして驚くことに、写真の「ホリデー」は1949年の7月号。そもそもこの雑誌、1946年創刊なのだ。日本では70~80年代にやっと成長していったレジャー&トラベル産業界なのに。なんだかいつも日本はアメリカの20年あとを行っているのだろうか? ついこないだの大騒動ホリエモン事件もそうだ。マイケル・ダグラス、チャーリー・シーンの「ウォール街」(1987年)や、メラニー・グリフィス、シガニー・ウィーバー、ハリソン・フォードの「ワーキングガール」(1988年)が、80年代に見せてくれていた話じゃない。空前の大ヒットとなった、ジュリア・ロバーツ、リチャード・ギアの「プリティー・ウーマン」(1990年)なんて、今でいう、破綻したリーマンみたいな傲慢金融資本主義の亡者役がリチャード・ギアだったのだから。

雑誌「ホリデー」は1946年創刊から20年ほど続いて1968年に廃刊となっている。それは、人類が初めて月に降り立った年。人類が初めて衛星生中継でつながった年。「2001年宇宙の旅」でニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」が奏でられた年。1968年って、なんだか僕には、2009年の「新地球主義」につながる起源の年だったように思えてならない。人生はきっと永遠の「ホリデー」なんだよ。 クリスマス・ホリデーに映画「ホリデー」が心地いいように。。。

2009-01-22

新英和大辞典


人類史に記される歴史的転換点2009年。来る4月には、54年目に入ろうとする波乱万丈な僕の人生に付き合ってくれた奇特な相方がふたりいる。いや正確には1冊と1匹。その忠実な相棒君、1冊は1968年(昭和43年)、13歳の中1からの付き合いだから41年者。1匹は1998年(平成10年)、43歳の苦悶の離婚劇からの付き合いだから11年者。2204ページの「新英和大辞典」研究社と、つい一昨日、8年の任期満了でお辞めになった米大統領ブッシュさんもホワイトハウスで飼われていたファースト犬「バーニー君」と同種のスコティッシュテリア、我が愛犬「タロ」。辞典と愛犬。思えば19歳の同棲からこの歳まで、3回の結婚と3回の同棲。いつも直球勝負の夢中な恋の真剣勝負。34年間に6人の愛すべき女性と人生を寸分惜しまず伴に刻み分かちあった。しかし気がつけば傍にいつづけてくれたのは1冊と1匹。記録ついでに付け加えれば、23歳で初めて買った車VWシロッコから、この間24台の欧州車との出会いと別れ。さらに新築マンション3軒も。そう眺めると、1冊と1匹との出会いは添い遂げる相方 MY TRUE CONFIDANTS 。ただ、タロは、よくてあと5~6年のお付き合いだろうけれど。となれば、棺おけを伴にするのは英和辞典か。まぁ~生涯、5歳児。子供のような好奇心の象徴が辞典なんだろうからお似合いのカップルか。と、往生し天寿をまっとうしたいものだが、まだまだ一寸先は闇か明かりか何が起こるかわからない紆余曲折の長旅は、これからも抱腹絶倒!刺激満点に TO BE CONTINUSE さ。


「新英和大辞典」2204頁 研究社辞典部発行 第4版 昭和43(1968)年印刷 定価3500円。

この辞典を買いに行った日の事はクリアな映像でアーカイブされる。当時の札幌で、こんな辞典をあつかうまっとうな本屋といえば、3軒しかなかった。1軒は中心部の4丁目で三越と並ぶ「丸善」。地元組では三越の向い、東京でいえば、地価の物差しに使われる銀座の鳩居堂のような「富貴堂」と琴似駅前商店街にあった質実剛健な「くすみ書店」。参考書を買うとなれば、位置的には正反対の「富貴堂」と「くすみ書店」を行きかい品定めをしなければならなかった。紀伊国屋が出店したのは1972年の札幌オリンピックを前に整備された地下鉄と地下街誕生期。その後、旭屋書店、三省堂、などのナショナルチェーンが出店する。地元の名士「富貴堂」は、札幌オリンピックが終わって3年後の1975年、渋谷についで全国で2店目となる札幌パルコ出店時に等価交換で建物内に吸収されて、その名も消えた。 この英和辞典、アポロの月面着陸と、その世界同時生中継という2つの人類初が記された1968年の夏、欲しくて欲しくて何度も店に通っては迷った、むくな13歳の少年には高価な3500円だったのだ。
追伸  あの日から18年後の1986年、今のところの僕的建築の快作「PARADE」が、パルコの真裏に、まるでパルコ・エイドのように竣工した。当時31歳。僕の渾身の「パレード」は今でもかくしゃくと現役で生きている。



2009-01-21

怪盗ジバゴ


「怪盗ジバゴ」 北杜夫 文藝春秋。
人生でこれほど可笑しい小説を僕は未だ知らない。と、豪語したところで小学校卒業以来、ほとんど本を読まない身では、まるで説得力激薄なんですがネ。そこで、「帯」を全文記載するので、いかに、おかしそうか?を想像してみて下さいな。写真は1967年(昭和42年)初版本。私は12才だった。小6?中1? 何だか去年から今年にかけて、映画人&資本人たちは「20世紀少年」だの「怪人20面相」だの「鉄腕アトム」だのと、ハリウッドまで巻き込んで、我が純朴な少年期を強欲にも商売のネタにして騒がしいけれど。北杜夫の傑作。愉快作の金字塔。これを読めばTKOまちがいなし。

さて、その「帯」全文。

いかなる探偵小説愛好家もガックリくる
史上最大の怪盗出現!
明智小五郎 ルパン ボンドも登場する

奇想天外の痛快物語!

怪盗ジバゴの身の上書
[本名]不明。 [異名]サン・アルナウ伯。アジア・ブジバ・タルタルロー。怪盗ドドンパ等等。百の異名と渾名がゴマン。 [人相・年齢・国籍]不明。瞳の色から骨格まで変える変装術により、怪物フランケンシュタインにも、絶えいるような美女にも化ける。 [特技]「開けジバゴ」の呪文でどんな堅牢な錠前もあける。その他、飛行機の操縦からダイコンおろしのすり方に至るまで、文武百般可ならざるはなし。 [業績]銀行を破産させること百三十八回。内閣総辞職に追いこむこと三回。更迭せしめられた警視総監その数を知らず。 [逮捕歴]八十六回。但しいずれも別人だった。 [性格]優雅な完全主義者。 [人気]絶大!


まぁー 万事がこんなあんばい。

表紙を開ければ、もう、のっけからアクセル全開!抱腹絶倒の舌ットコースターは息を呑む間に最終章へ。あらゆる想像を裏切る美しいラストはエスプリの極致。作者 北杜夫は、まるで文字の漫画家?オトナの言葉のファンタジスタ!天才小説家であることに感嘆必至だ。これで御代が350円なりとは、言葉のエンタメは安価なりアッパレ。



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