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2009-02-17

IMG SRC 100


1989年11月9日、ベルリンの壁は市民たちによって、いとも容易く壊されていく。その一部始終を、生中継したテレビ映像が世界を駆け巡った。1961年から28年間、東西ベルリンを分断してきた門は開放され、歓喜に沸く東ベルリン市民たちが、西ベルリンに雪崩れ込んだ。この事態を軍事的に押さえ込む事さえできないほど、共産主義社会の超大国、ソ連は統治力を失い、国家は今の化石国、北朝鮮のように、とうに瓦解していたのだろう。その崩壊の最大の原因は、労働と富を共に分かち合うはずだった理想社会「共産主義」が、国民の等しくあるべき自由と人権を、体制維持の為に統制、管理、剥奪する過ちを犯し、終始、本末転倒した軍事独裁国家だったことだ。国家権力による暴力的、思想、宗教、芸術、言論の弾圧、統制下にあった国民は、自然の欲求として自由と人権を希求し、その満たされない当然の権利は、長きにわたって隣国(西ベルリン)から伝わるテレビ映像から、世界の事情、世界の暮らしを見続ける事によって募らせていった。テレビからもたらされた情報が、国民を動かし、国家を変え、東西の冷戦を終わらせた。

1998、その前年に他社の事務所に間借りする形で立ち上げたばかりの小さな会社、いやネットオタクの個人事務所といった方が正確なシフト・プロダクションから「IMG SRC 100」と題された一冊の本が編纂され世に出た。時は1995年以降、やっと普及し始める日本のインターネット黎明期。それは、インターネットとは何をもたらすものなのか?の答を、初めて日本に示した革命的な第一歩だった。札幌在住の大口岳人が個人的趣味として、当時バイリンガルで初めたインターネット・カルチャーマガジン「シフト」。世界中で沸き起こっていた、秒進分歩で新技術が生まれては、その使い方を駆使し真新しいデジタル画像を創作する、タイトルどおりな画像クリエーターたちを紹介するもので、そのサイトに集まった世界の若きイノベーターたちの中でも、最前線を行く100人の作品を、見開き2ページで紹介するものだった。世界100箇所の100人のクリエーターたちと、シフト(大口岳人)は、一面識もなく、電話での疑似リアルな直接交流さえもなく、片言の英語による100%サイバースぺースのメールだけで成り立った出来事。インターネットとPCさえあれば、都会でも辺境でも、性別も年齢も、文化も言語も生い立ちも違う、様々な100人がつながり、それまでどこにもなかった、ありえなかった事件を誰でも起こせる、IT革命の革命たる証明だった。

2009年、地球誕生から46億年。生命誕生から40億年。人類誕生から400万年。イギリス産業革命から249年。フランス革命から220年。明治維新から141年。20世紀の産業、経済、富の象徴T型フォードデビューから101年。第二次世界大戦終結から65年。プラザ合意から23年。ベルリンの壁崩壊から20年。そして、IT革命から16年。人類はわずか200年で、世界を小さく時間を短く地球を身近にした。しかしそれは考えてみるまでもなく、地球を俯瞰で眺めてみれば、赤子でもわかる話。そもそも地球は、空にも、海にも、陸にも、線の引きようのない、それ自体が生きたまあるい惑星。あらゆる生命の営みの源、生きた自然環境であるだけなのだから。自国だけで隔離しては生存できない。自分だけでは生きられない。生けるものの、この世に存在するもの全ての共有財産。「人は個性を生かし等しく平和に暮らす」。このために編み出された「宗教」は3000年来、今なお、自爆テロにまでおよんで宗教戦争し続け。良かれと思った「思想」は、世界を血の海と化した不幸な東西の冷戦期を生み、自国民を不自由な弾圧下に虐げた。自由主義の名の下に金融工学にまでおよんだ最後の一手「資本主義」も、アメリカ国民のみならず世界63億人を経済危機にさらしてしまった。人が編み出した、いずれの手段も、ことごとく莫大な犠牲を払い、膨大な不幸をもたらした20世紀。電波は国境をこえる。空も海も国境をこえて存在する。そして、ITはWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)。文字通り自由自在に63臆を瞬時につなぐボーダーフリー。

世界は太陽という誰のものでもない天恵を軸に、自然の力を借りて、宇宙の摂理と節度、いわば自然の憲法と法律をわきまえた、あたりまえの自然循環社会にならざる得ない。産業革命後の英ポンド、第二次大戦後の米ドル、そして、覇権国が存在しなくなった21世紀の今、人類は、世界統一の新基軸通貨「テラ(地球)」を持って、地球という共有財産を生かしあい、その恩恵の富を分かち合う、真の平等と平和の社会「地球民」時代の夜明けを迎えた。いよいよ、人類文化のガラパゴス「日本」の本領発揮の時代に。3000年をかけて、この気候風土の中で育まれた、ヘルシーでエコロジカルでリサイクルでミニマルな、そして何より、雅で繊細、かわいい緻密の美しい文化。いよいよ主役で出番です。だから、オバマ政権の特使クリントン国務大臣が、真っ先に日本を訪問し、真っ先に、畏敬をもって明治神宮へ参拝したのは当然の話。それは、リップサービスでも気遣いでもなく、マジ(真剣)に日本文化の助けが必要だから。1986年のプラザ合意で、G5は米ドルを助け、ソ連崩壊、冷戦終結ではG7、そして、地球がヤバイと、G8、ついに世界の金融経済破綻で、G20。未知の危機の度に頭数を増やしてみても、何も見えない何も解決できない。その混迷の救世主こそが、どこにも無い、誰も真似られない、自然の理にかない無駄の無い、「日本文化」。100年に一度の未曾有の危機なんかじゃない。100年間の過ちを正し、やっと人類は理想社会を建設できる、その時の到来だ!これがわかれば、あなたは21世紀の地球民。しかし、メディアも有識者も政治家も一般人も、だぁーれもわかっちゃいないのが当の日本とは、やれやれだ。

そもそも年齢通りだったのです。ただの若者アメリカ君であっただけなのです。仮想で巨万に見えたお金が無くなってみれば、中身は空っぽ、生き抜く知恵の「文化」の無い、ただの233歳。お金が紙くずであるように、大きく見えた力も紙くず。アメリカ君が再生すれば、世界がよくなるのでは全くない話。世界は、その土地の気候風土から生き抜く知恵として育まれた固有の「文化」、つまり個性を生かし、太陽という究極の自然エネルギーを主軸に、その土地固有の自然力をエネルギーに変換すれば、等しく豊かで平和な社会に変える事ができる。ITが辺境の地からたった一人で世界をかえられるように。その時、「自然循環の文化と精緻な技術」を有している国は、地球上で我が日本しかない事に気がつかざる得ない。自然から学んだ日本の2679歳の歴史「文化」が「文化」の無い巨体の若者アメリカ君を健全へ導き、「文化」はあるけれど、体系化された「技術」と「知恵」の無い世界の後進国に『日本』を提供すれば、旧来の南北格差を無くし、世界を生まれ変わらせる事ができる。相撲は小さな力士でも巨体の力士を打ち負かす事ができる。それは、イチローが巨体のベースボール・ビジネスを魅力的に再生出来ているように。『日本』が今の世界を救い、人類積年の真の豊かさと平和を導ける唯一の道。そもそも、テーブル上で理屈を遊ぶゲームだった「アカデミー」には生きぬく知恵は無いのです。生き抜く技は磨かれないのです。仮想を遊ぶがアカデミーですから。自然から学ぶ生き抜く知恵「文化」にしか。遊ぶは「アカデミー」学ぶは「自然界」。あなたの足下が大学です。それを20世紀は教えている。あなたは未だに20世紀の人?

「IMG SRC 100」 SHIFT PRODUCTION 編纂 株式会社アウラ 翻訳・出版 1998年初版 3,900円。タイトルの「img」 は IMaGe(画像)の略、「src」は 属性で指定した画像ファイルを表示するITの技術用語。まさにその名の通りな100人が世界地図にピンポイントされたカバーデザインは稲葉秀樹

2009-02-06

INTEAAUPTD PROJECTIONS


インタラプテッド・プロジェクションズ ニール・ディナーリ ギャラリー間 選書04 1996年初版 TOTO出版 1529円。

人生、何かが動き出す時って、必ず鍵となる物・事・人との出会いが立て続けにやって来る。それも、思いもよらない方向から。ヨーロッパならともかく、アメリカの建築家では珍しいペーパーアーキテクトだったニール・ディナーリが、にわかに日本で話題となったきっかけが、1989年、東京フォーラム設計コンペで、彼のプランが佳作に選ばれたことだった。僕はかねてより彼の空間、というより表現に、どこか幼なじみのような親近感を覚えていた。それは、世代が近い事から来る成長期に得た文化的時代背景を共有している事なのか。いや、同世代建築家で最も尊敬するヘルツォーク&ムーロンらに、そんな同類感を覚えはしないから、やっぱりピンポイントで通じる何かがあるのだろうと思っていた。そんな折の、1996年9月~10月にかけてギャラリー間で、彼のエキシビションが催された。それも、ペーパーアーキテクトとしては、作品本まで出版されるという異例な扱いだ。早速、会場に出向いてみて、胸の痞えはあっさり下りた。その親近感の正体とは、記号論を専攻した身として感じるものだった。彼の吐く、建築の語り口、見せ方は、シンボリックな記号をグラフィカルに綴った表現なのだと。およそ、既存のアカデミーな建築界の言い回しではない事なのだと。わかりやすく言うと、例えば、法廷という専門世界で交わされる言語は硬く難しくわかりにくい。それを、我々が日々親しんでいるセブンイレブンのサイン(記号)やベンツのマーク(記号)を使って語ると、意図、イメージがぱぁーっと広がり一気に伝わる。つまり、わかりやすい例え(サイン)を連ねて文章を書いているみたいな手法。もう少し言えば、記号(サイン)性のある例えで、難解な原文を翻訳して伝えているってわけだ。そういう彼の立ち位置ゆえ業界では異端だろう。その一点が僕と繋がっていたのだ。なるほど、実作品が少ないわけだ。ところが、おりしも1996年の日本は、インターネットが急速に普及しだした矢先。彼の発案したパソコンのブラウザやアイコンを引用したりのグラフィカルな通訳表現が、ジャストヒット。日本のグラフィックデザイン、雑誌、書籍の装丁、編集デザイン、果てはテレビの映像デザインにまで引用、応用される大ブレーク。皮肉にも、彼の建築言語の通訳手法が、やっと時代に、思わぬ形で通じたわけだ。

会場で仕入れた、彼の唯一の作品本を眺めながら迎えた1997年春、思いもよらない札幌市から、サッポロコレクションのリニュアル仕事が舞込んだ。それは時間も予算もなく、過去のしがらみだけがある難易度5つ星の仕事。当然、ヤリガイ満点で臨んだ出鼻、僕は偶然の勘違いで、大変失礼な話、人違いからデビューしたてのITL(インテンショナリーズ)鄭秀和と出合ってしまった。しかし、その彼が僕に自己紹介しだしたグラフィカルな建築世界こそ、待望していたニールな表現とは運命の悪戯。たちどころに意気投合して、僕はコレクションの空間を彼に任せた。そして、その出会い頭の勢いは、彼の仕事仲間、サイレンスファンデーションの音楽アーティストでもあるグラフィックデザイナー下田法晴に、コレクションのオリジナルCDデザインを担当してもらうことにつながるのだが。何と下田君こそ、写真の「インタラプテッド・プロジェクションズ」を装丁、編集デザインしたデザイナーだったとは。類は類を呼び。奇遇は巡り巡り。ご縁の連鎖は大団円。お陰さまで、コレクションは記憶に残る革命的出来栄えだったそうな。

早いものであれから12年。今ご覧頂いているブログのテンプレートも言わば、ニールの記号。そして51歳になったペーパーアーキテクト、ニール実建築がNYで話題となっている。

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